• Facebook
  • Twitter
  • 地元びいきとは
  • 問い合わせ

【大川コンセルヴ】木と食を結ぶ暮らし

「食育」+「木育」大川だからできる食卓シーンの提案

 日本人の食の原点といえる「食卓」。
「卓」には古くから木が用いられ、
木工のまちとして家具の生産高日本一を誇る大川は、
日本の食卓を支えてきた。
その大川の資源を活かした木と食のプロジェクト「大川コンセルヴ」。
「コンセルヴ」とはフランス語で「保存食」の意味。
木が年齢を重ねるように大川にストックされてきた技術と知恵を活かし、
現代の食卓を豊かにする彩りを加えます。

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川

 

< コンセルヴの理念 >

わたしたちは何者か?
妥協のないモノ作りをしている各事業のプロフェッショナルたちがふるさと大川を愛し、つながった集団です。大川に蓄積された木工の技術と自然の恵みを活かし、木と食が1つになる食卓をテーマに食文化、住環境をよりよく文化的にするために活動します。

何をしているのか?
コンセプトに沿った木工品、食料加工品を世に提案することで、その背景にある私たちの想いを伝えます。地域に人を呼び込んでモノ作りを通じた交流を促進し活性化させ、将来の大川をになう人材を育てていきます。

何を目指しているのか?
「ていねいに暮らすこと」それは食べ物の命を最後まで面倒を見るということ。愛する道具を朽ちるまで使い続けること。大川コンセルヴは、自分たちの生活を見直し、生まれ育った場所をよくしていくための仕組みづくりを目指しています。大川にストックされてきた知恵や技術を保存(conserve)し、後世に引き継いでいくためのブランドです。

 

「筑後川モノがたり」

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川

『九州の福岡南部、筑後川が有明海に注ぐ河口に、木工のまち「大川」はあります』
大川の名前の由来となった九州最大の河川、筑後川。
悠久とした川の流れは良質な木材が下ってくる木の道となり、肥沃な田畑に水を運び、そして豊穣な有明海の幸へ繋がる食材の仕入れ先でした。大川の歴史は筑後川と共にありました。

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川

 

 

 

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川 暮らしをつくる
天領(江戸幕府の直轄地)・日田から大川へつながる川の流れは、良質な木材が下ってくる木の道となり、大川は木材の集積地として栄えました。多くの船が行き来していたこの街で船大工の技術を生かし始まった指物が大川家具の起源とされています。日本人の暮らしをささえきた大川家具は、川と共に暮らしてきた大川だからこそ生まれた産業なのです。
▶人と人、人と自然。木でつながる、プロダクト 〜木の商品について〜

 

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川筑後川が与えてくれたもの
筑後川は、肥沃な田畑に水を運び、イチゴ、イチジクをはじめとした果物から多種多様な野菜、穀物など豊かな農作物を与えてくれ、九州随一の穀倉地帯へと発達していきました。特に筑紫平野で実る苺は、「あまおう」とよばれ、絶大な支持をえています。豊かな食材に助けられ生産・加工技術も発達しました。
▶土が育て、人がつくる食 〜食の商品について〜

 

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川刻々と、悠々と、
九州最大の筑後川は、阿蘇山の外輪山に源を発し、沢を集め、山を下り、いくつもの 支流と交わりながら有明海へ注ぎます。一見、濁っているように見える河口部の水も、火山灰の影響なのだそうです。旅だしうなぎ、川あんこう、エツなどのこ こでしか食べられない特有の食文化が生まれました。そして、筑後川の河口に位置する有明海。その遙か彼方まで続く干潟、独特の地形から生まれた肥沃な海、そして有明海ならではの恵み。海苔をはじめとした有明海の幸に恵まれました。

 

大川コンセルヴ 福岡県 木育 食育 筑後川役目を終えた橋は今も大川を見守っている
大川の代表的な風景といえば「筑後川と昇開橋の風景」だと大川の人々は答えます。たくさんの船が行き来し、満潮と干潮が刻々と様々な表情をみせる筑後川と東洋一の可動式鉄橋・昇開橋。そんな風景の中で育った人達だからこそ、人が自然を育むのではなく、自然に育まれて人は生きているのだと、この風景を自慢に語るのです。

 

河と共に生きる文化を私たちは受け継ぎました。
そして未来へ伝えていくために、
私たちの『筑後川モノがたり』がはじまります。

 

 

(文・写真 大川コンセルヴHPより転載)

【HP】大川コンセルヴ


2014/8/28 更新

カテゴリ

タグ

新着記事