• Facebook
  • Twitter
  • 地元びいきとは
  • 問い合わせ

歩きはじめてみました東海道(その壱)

江戸時代、江戸幕府によって全国支配のために江戸と地方を結ぶ街道の整備が行われました。有名なのが五街道。日本橋を起点に伸びている東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つだから五街道。
1601年に徳川家康が整備をスタートし、4代将軍家綱の代になってから基幹街道として定められたそうです。
五街道から江戸を出入りするのも厳しい検査があり、また、それぞれの街道には要所要所に関所が設けられていました。参勤交代で江戸と地元を行ったり来たりする大名も、主に五街道を使っています。
現代は、五街道の上から新しい道路がかぶせられたり、五街道の横に大きな道路が作られて旧道としてひっそりしていたりと、姿もそれぞれ変化していますが、重要な幹線道路の基盤として残っています。

地元びいき主催の和田さん含め、品川方面には何かとご縁があり、訪ねるたびに気になっていたのが東海道沿いの品川宿。今でも雰囲気がしっかり宿場町っぽいのです。そしてそこら辺の人たちが言う「品川は江戸じゃないから。江戸から出て東海道の最初の宿場町だから」という、なんとなく誇らしげな様子に、宿場町への異様なあこがれ感のようなものを私は抱きはじめてしまったのです。

道中は日本橋からはじまる

ということで、日本橋に立ちました。日本橋東海道なるものを、歩いてみようかと思ったからです。ちょっとずつですけど。旅の相棒は品川在住のコジさん。東海道の旅といえば、江戸時代後期に十返舎一九が書いた滑稽本(こっけい本=簡単に言えば笑える本!)「東海道中膝栗毛」が有名。弥次郎兵衛と喜多八のヤジさんキタさんが、厄落としのために伊勢参りに東海道を歩くその道中が、洒落や冗談、いたずら満載ということで人気を博した本です。キタさんは元々ヤジさん馴染みの陰間(江戸時代の男娼)ということもあり、下ネタもちりばめられたりして。

時は平成二十と八年。ハッピーマンデー体育の日前日が、コジさんマメさん、東海道を歩く記念すべきスタート日となりました。
ところがどっこいしょ、その日は朝から雨。急ぐ旅でもないし、雨が止んだら歩こうということになりまして、結局日本橋に立ったのは13:00になってしまい、はて、旅の初日はどこまで歩けるでしょうか……。江戸時代の旅人は、まだ暗いうちに出発したと言われているのに。

サラリーマンを長いこと続けていると、「結論から言え!」と言われまくるものです。社会の一筋に従って結論から言いますと、日本橋から一つ目の宿場、品川宿までしか行けませんでした。
たったの2里です。

イイワケをすると、前述の雨でのスタート遅れ、初日だからペースつかめず。都会だから歩道を歩きますが、現代の道路事情による赤信号足止めの多さ。おしゃべりし過ぎて史跡名所を通り過ぎては戻る。昼飯抜いた私が空腹のあまりコンビニで完全に乾ききったアメリカンドッグを食べる。など、前途を多難にする要因満載。このペースで行くと、61日かかる計算になります。ひゃ!

東海道は重要な道

東海道は1624年に完成。日本橋から京都の三条大橋までの五十三次(約490km)もしくは、延長の京街道の4宿も加えて、五十七次と言われます。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」で五十三次の方が有名にりました。ちなみに「次」というのは、宿駅伝馬制度からこう呼ばれるようになったようです。「宿駅伝馬制度とは、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度です。輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものです。輸送の範囲は原則として隣接する宿場までで、これを越えて運ぶことは禁止されていました。したがって人足と馬もそこで交替することになり、隣の宿場に着くと荷物を新しい馬に積み替えることになります。」(「東海道への誘い」国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所より)

歌川広重「東海道五十三次」日本橋

歌川広重「東海道五十三次」日本橋

さて、五十三次か五十七次かはおいておいて、江戸幕府にとって東海道は重要な道でした。多くの国をまたぐし距離も長い。何より行きつく先は、天皇が住む京都や天下の台所大阪ですから。
東海道といって思い出す言葉が、「入り鉄砲に出女」。この意味を説明しなさい、とは、よく日本史のテストで定番ですね。復習のために書きますと、「入り鉄砲」とは江戸に入ってくる武器のこと。戦争もなく平和を保っている江戸にとって、争いの元となる武器が入ってくることは危機的なことでした。それから、「出女」とは、読んで字のごとく出ていく女のこと。この女は、大名の奥方たちをあらわしています。江戸幕府では、大名の奥方は、江戸住まいでした。謀反など起こさないようにするための人質ですね。なので、大名は奥さんとは参勤交代で江戸に行ったときしか会えなかったということになります、さみしい。これが江戸末期になると崩れていく制度ですが、それはまた別の機会に。

日本橋→品川宿の見どころ

ただ歩くだけではもったいない。東海道沿いには、江戸時代の名所旧跡もたくさん残っています。今回は、たった2里(約8キロ)の行程ですが、いくつか見どころを紹介したいと思います。

まず、スタートラインの日本橋には、「日本国道路元標(にほんこくどうろげんぴょう)」というものがあります。これは、国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号の起点という意味。国道1号が東海道です。4号は日光街道・奥州街道、17号は中山道、20号が甲州街道と五街道の起点がすべて同じだということがわかります。

日本橋からすぐのところに、高札場があって向かいが晒し場跡。晒し首を置いた場所という意味のここには、江戸時代に処刑された罪人の首を晒しされました。想像するとぞっとしますが、わざわざ人通りの多いところに晒したということがわかりますね。ちなみに、五十三次の終点の三条大橋の河原にも、晒し場跡があります。
少し歩くと京橋。「江戸歌舞伎発祥の碑」があります。歌舞伎といえば東銀座の歌舞伎座あたりのイメージですが、初代中村勘三郎がこのあたりに中村座を開いたのでその記念に建てたようです。そして京橋を渡ると銀座。

歌舞伎発祥の地

歌舞伎発祥の地

休日のしゃれおつなザギン。私たちは、少しでも江戸っぽくしようと、背中には鞄ではなく風呂敷を背負って、足元はスニーカーではなくワラーチ(トレランをする人たちなどが履いていたりする)。これで堂々と歩行者天国を通過したのだから目立ったこと間違いなし。正々堂々銀座を歩き切ると新橋に至り、そこからはしばらくなんだか退屈な大きな国道沿いを歩くことになります。

浜松町を過ぎて、そういえばこの辺りのはずなのに東京タワーが見えないね、などと言いながら田町に近づくと、幕末に江戸城無血開城を果たした、勝海舟と西郷隆盛会見の場所がありました。説明書きに貼ってある江戸時代の地図を見ると、ここから先は海。現在の田町駅は、江戸時代は海の中ということになります。ヤジさんキタさんが歩いていた頃この道は、海をすぐそこに見ながら、潮風など浴びながらの街道だったのですねぇ。平成の私たちは、どちらかというと排気ガスを浴びていました。

勝海舟と西郷隆盛会見の場

勝海舟と西郷隆盛会見の場

田町を過ぎて、右手に御田八幡を見ながら進むと、突然立派な石垣が現れます。大木戸跡というもので、街道上の江戸内外の境界に設置された関所のようなもの。通過する人間や物品を管理することを目的としていました。木戸という扉が江戸市中の町境など防衛・防犯用に設置されていましたが、その大規模なものが大木戸と呼ばれていました。東海道ではここですが、甲州街道沿いでは、現在の四ツ谷に、中山道沿いでは、現在のいた場所に、石垣や扉は残っていませんが、大木戸という地名が残っています。

大木戸跡

大木戸跡

大木戸跡の少し先に、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭と赤穂浪士の墓所がある泉岳寺がありますが、横道に逸れてしまうので、今回は軽く通過。JRの品川駅を超えて八ツ山という地名から国道1号の大きな道路とはしばしサヨウナラをして旧道に入ります。すると一気に江戸情緒が漂ってくる不思議。

宿場だ!
そんな空気が流れています。日本橋を出発したときの、なんとなくの江戸気分が戻ってきました。江戸当時の東海道の道幅が色でわかるようになっていて、その両脇をさまざまの商店や施設が並んでいます。売っているものもサービスも、もちろん現代のものですが、ここにずっと暮らしてきた方々が、品川宿というものを今でも守っているような、江戸の情景が目に見えてきそうな場所です。

歌川広重「東海道五十三次」品川宿

歌川広重「東海道五十三次」品川宿

明治中期頃の品川宿入口(中央が旧東海道、手前が現在の国道15号)

明治中期頃の品川宿入口(中央が旧東海道、手前が現在の国道15号)

現在の旧東海道

現在の旧東海道

まだまだ歩き足りないくらいで到着した「日本橋から二里」の道標。ここにて、第1日目は終了となりました。

スタートからちんたらちんたら進んでしまったので、万歩計はたいして進まなかっただろうと見てみると、軽く2万歩越え。たった8キロで超健康気分。江戸時代の人は平均して1日20キロくらい歩いたといいますから、そりゃもう、足腰も丈夫だったことでしょう。

次は品川宿からのスタートです。いつ歩けるかわかりませんが、次回は神奈川県を突っ切って4里は行きたいところです。次の予定は12月のクリスマスシーズン。そういえば年が明けてすぐの箱根駅伝は、だいたい東海道を走るコースですね。
では、続きは、また来年ということで。皆さん、よいお年をお迎えください。

黒川豆(文・写真)

Special thanks:街道文庫と田中さん、小島香里さん、品川宿の皆さん
街道文庫 田中義巳さんについて(品川経済新聞より)→http://shinagawa.keizai.biz/headline/1428/


2016/12/26 更新

カテゴリ

タグ

新着記事