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【近江の麻 近江上布】清らかな湧水、そして先人の高い技術が育んできた最高級の麻織物

近江の麻

近江の愛知川・宇曽川流域は、高宮布からの染織の伝統、最高水準の仕上加工技術、そして鈴鹿山脈からの清水と、染織から仕上げまでの麻布の生産に必要なものが一か所で揃う全国でも数少ない地域です。手触り、肌ざわりを大切にしてきた近江だかららこそできる麻布があります。伝統技術を受け継ぐ「近江上布」、あるいは伝統の良さを守りながらも新しい技術を取り入れ、さらに質の高いデザイン性や感性を備えた地域ブランド「近江の麻」「近江ちぢみ」など近江ならではの上品な麻織物を発信し続けています。

近江上布 近江の麻 麻生地

麻生地

伝統の織り 〜高宮布から近江上布へ〜

滋賀県の湖東地域は、室町時代より麻織物を産する地域として知られています。特に江戸時代には、越後縮や奈良晒とならび称されるほどの良質な麻織物「高宮布」の産地としてその地位を築きました。江戸時代、中山道高宮宿は湖東地域で生産された上質な麻布の集積地でした。天保14年(1843)「枝村より高宮宿縮図」には、高宮宿の町並で十数軒の布商売が記されており、高宮布は高宮宿の名物として有名であったことが伺い知れます。
彦根藩は高宮布を保護し、将軍家への献上品としていました。日本では古来より、麻布には大麻と苧麻という二種類の麻が使われてきました。高宮布には大麻が使用されています。大麻は苧麻に比べ荒く品質の劣るものと思われ、日常着に使われていました。しかし、良質な麻(大麻)と高い技術力によって、細微で光沢があり品格さえも持つ麻布に仕上げたのが高宮布です。

近江上布 近江の麻 苧引き

苧麻から繊維を取り出す「苧引き」

近江上布 近江の麻 手績み

糸を作る「手績み」

明治に入ると、紡績糸の導入や近代化により麻布生産の産業構造が大きく変化し、高宮宿も集積地としての機能を閉じることとなり、高宮布の生産も途絶えていきました。その後、生産拠点は愛知郡、神崎郡(現在の愛荘町、東近江市)に移行していきました。近代化に伴う技術革新、組合結成などの生産組織の確立などを経て麻織物の産地として発展し続けて行き、昭和52年、絣、生平が「近江上布」として国の伝統的工芸品に指定されました。近江上布の絣は櫛押し捺染、型紙捺染によって糸に模様をつけます。櫛押し捺染とは、櫛に似た道具を押すようにして捺染するもので、近江独自の技法と言われています、また羽根という道具を使い型紙捺染する技法も近江が開発したものと言われています。生平とは手績糸(手で作った糸)を使用した生地のことを言い、近江上布の生平は地機で織ることが決められています。
湖東地域で育まれた高宮布、近江上布は高度な技術に裏打ちされた、それぞれの時代を代表する高級な麻織物と言えます。

近江上布 近江の麻 高機

近江上布の生地を織る高機(たかばた)

伝統の技術 〜水〜

近江は、琵琶湖を中央に抱き周囲を山並みに囲まれています。山々に降る雨水は地下に浸透し、時を経て湧き水となり、川に集まり、そして琵琶湖に注ぎます。愛知川や宇曽川の扇状地では、標高120m付近、あるいは旧中山道が走る標高105m付近に湧水が見られます。愛知川が中山道と交差する辺りの両岸には麻織物の仕上加工をおこなう整理工場が多く立地するのは、このことによります。織物は織り上がったそのままでは商品とならず、必ず「仕上げ」という工程が必要となります。「仕上げ」とは、織り上がった反物をきれいにして、風合い用途に応じて調える工程と言えます。この仕上加工には洗いなどの多量の水を使用する作業が多くあり、鈴鹿山脈からの湧水が豊富なこの地は最適と言えます。近江の麻織物は、良水の恵みなしには語ることができないものです。この恵みに支えられた仕上加工には、さまざまなものがあります。毛羽を焼ききる毛焼き、平仕上げ、あるいはわざとシワを付ける「シボトリ」と呼ばれるちぢみ加工、染めの色止め処理、柔軟加工、防皺加工、反物の端を整えるミミコミ、規定の大きさに仕上げる幅出しなどの工程です。
また、でんぷんやこんにゃくの天然糊材などによる糸の糊付加工技術もあり、近江にはあらゆる種類の上質な麻布の生産対応できる技術と経験があります。近江、湖東地域の麻織物仕上技術は、全国でも高水準にあると言えます

(文・写真提供 近江上布伝統産業会館)

近江上布伝統産業会館「麻々の店」HP http://www.asamama.com/


2016/10/21 更新

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