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丸くても四角くても、餅は日本人のスペシャルフード

1月も後半を周り、お正月気分というやつがようやく抜けたのは、私だけでしょうか。
今年の年末年始は、カレンダーの都合がよくて、大型連休となりました。海外旅行へ行かれた人も多かったですが、私は遠出をせずに「Theニッポンのお正月」という日々を送りました。
先月のスタッフよもやまでは、おせち料理の東西事情について書かせていただきましたが、今回は、お餅について少し綴らせていただこうと思います。というのも、おせち料理と同様お正月に欠かせない食べ物である餅は、これまた東西事情が顕著に現れているものであるからです。そんな風にお正月以来、餅のことを考えて暮らした私は、いまだにお餅を食べています。

鏡餅は神様のチカラを象徴したもの

1月11日は鏡開きでしたが、元旦から11日間、丸い餅を2つ重ねてみかんを乗せて、鏡餅をお供えする家庭も多いのではないでしょうか。ご多分に漏れず、私も飾っておりました。そもそも、この鏡餅は何のためにお供えするのでしょうか。地元びいき スタッフよもやま

調べてみたところ、鏡餅の丸い形は心臓を象徴化したものといわれ、年神様に力を借りて魂の再生を図ったと伝えられています。神に供えられた鏡餅を鏡開きの日に割って食べることで、神の霊力と人間がつながりを持てると考えたようです。形が丸ければいいのでしょうか? だったら他の丸い食べ物を飾ってもいいのではないか、とひねくれて考えてみました。しかし、米(正確にはもち米)で作った餅であることが重要でした。

「日本の文化を民俗学や歴史学の視点から調べてみると、稲や米がとても大切な意味をもつ食べ物であったことがわかります。秋の勤労感謝の日は、もとは新嘗祭(にいなめさい)の日でしたが、それは古代から続く稲の収穫感謝の祭りの日でした。稲には、稲魂(いなだま)とか穀霊(こくれい)という言葉があるように、人間の生命力を強化する霊力があると考えられてきました。春夏秋冬の季節のめぐりの中で、長い時間と労力をかけて気候の変動にも影響をうけながら、毎年一回ずつ収穫されるその年の新しいお米、それを炊いて食べることによって、人びとの生命力がひとつずつ強化され更新されると考えられたのです。」(日本鏡餅組合ホームページより)

米が特別な食べ物であったことは、10月のスタッフよもやまでもとりあげたので、こちらもご参照ください(http://jimoto-b.com/7321)。とにかく、心臓に似せて丸ければいいのではなく、神様とつながる食べ物である餅を使った丸いものであるということが、鏡餅には必要な条件であるようです。

丸い餅と四角い餅の境界線は天下分け目の関ヶ原?

鏡餅は丸い餅ですが、「餅は丸い」とは限りません。切り餅と言われるものは四角い餅です。新潟で生まれ育ち、東京に移り住んだ私にとって、餅といえば100パーセント四角い餅を指します。鏡餅以外は、四角い餅しか知りませんでした。ところが数年前、友人と京都のゲストハウスで年を越し、宿のあるじにふるまわれた雑煮の餅が丸い餅だったことに、驚きました。「これが、噂に聞く西の丸餅か」と。そして、今年のお正月、九州出身の人が作ってくれた雑煮を食べましたが、もちろん、丸い餅でした。地元びいき スタッフよもやま

よく言われるのが、東は四角い餅、西は丸い餅。西日本の餅が丸いのは、餅を食べる食文化発祥の地である京都の影響を強く受けた地域であるからと言われています。もともと、餅というものは丸いものであって、丸い餅の方が歴史は古いのです。では、丸と四角、その境界線はどこなのでしょうか。

いくつかの書籍やウェブサイトで調べてみたところ、境界線は、「富山県が富山と高岡の間、滋賀県が彦根と近江八幡の間、三重県が四日市と松坂辺りの間となり、この辺りに線を引くとよい」となります。地図に線を引いてみて面白いと思ったのが、1600年に西軍と東軍にわかれて戦った、天下分け目の関ヶ原の戦いがあった、関ヶ原がちょうどこの辺になります。
ちなみに北海道は、明治の開拓時代に移住した人の出身県により餅の形が異なるそうです。

食文化だけではなく、土地の気候も関係があった

西日本の丸い餅の方の歴史が古いと書きましたが、日本古来の風習を残しているのは丸い餅です。お正月に食べる雑煮とは、年神様に供えた野菜や魚を下げて、ごちゃ混ぜに煮たものなのでお雑煮と呼んでいるそうです。その中に、年神様の霊力を持った餅を入れて食ました。地元びいき スタッフよもやまでは、なぜ東日本では、四角い切り餅が食べられるようになったのでしょうか。これは、武士と関係があるようです。貴族が暮らす京都を中心とした西日本と違い、東日本はサムライの土地でした。武士が戦場に携帯した戦陣食として餅を用いたのです。携帯する場合、切り餅の方が収まりがよく、適していたのだそうです。東日本が切り餅を使うのは、武家礼法の影響がありました。
しかし西日本にも武士は居たし、戦陣食ももちろん必要です。一説では、比較的温暖な西日本では、切り餅にすると切り口からカビが生え、長持ちしないので丸い餅の伝統が続いたとも言われています。逆に、寒冷で乾燥した空っ風が吹く地域の多い東日本では、丸い餅はすぐにひび割れてしまい長持ちがしないようです。実体験ですが、冬の乾燥がひどい東京でお供えしたわが家の丸い餅は、鏡開きの日にはほぼ真っ二つというくらいの深いひびが入っていました。
文化だけではなく、その土地の気候条件も、餅を丸くするか四角くするかの違いに影響していました。

餅を食べるのはお正月だけではない

餅について、お正月の代名詞のように書いてきてしまいましたが、日本の年中行事と餅はとても深い関わりがあるようです。ハレの日の食として、人生の節目ごとに餅が登場しますので、いくつか紹介したいと思います。

「お食い初め」
赤ちゃんが誕生してから100日目ごろに行う「お食い初め」は、その子が一生食べるものに困ることなく健やかに育つことを願う行事です。大人向けのお膳を用意し、赤ちゃんには形だけ食べさせるまねをします。この行事、地方によっては乳児の口に餅をくわえさせるところがあります。健やかな成長を祝うとともに、歯固めの意味も込めているのです。

「初誕生日」
子どもの初めての誕生日を両家で盛大に祝うことがあります。この日のために一升の餅をつき、風呂敷に包んだ一升餅を子どもに背負わせる行事があります。初誕生祝の日に餅を背負った子どもが、泣けば泣くほど元気に育つと言われています。余談ですが、私も姪が1歳の誕生日を迎える日に一生餅を贈りました。重さに耐えかねものすごい勢いで泣いてくれたので、彼女が元気に育つことを確信しました。

「ひな祭りと端午の節句」
女の子の成長を祝う雛祭りには菱餅、男の子の成長を祝う端午の節句には柏餅を食べます。調理法は違えども、どちらも餅でお祝いをします。

「棟上式」
家などの建物を建てる際の棟上式は、土地の神霊に建物が完成間近であることを報告し感謝する儀式です。地域によっては、集まった近所の人に餅やお菓子、金銭などをまき、ともに祝う習慣があります。新潟でもよくある行事で、実際わが家が建つ際も、餅やお菓子、五円玉などを屋根の上からまきました。この行事を通称「餅まき」と呼んでいます。上手に受け止めればたくさんの餅やお菓子がもらえるので、子どものころは、近所に家が建つのが楽しみでした。

「土用の丑の日」
土用の丑の日には、夏バテ予防に効果のあるうなぎを食べる風習があることが一般的ですが、関西や北陸には餅を甘い餡で包んだ「あんころ餅」を食べる地域もあるそうです。この餅を「土用餅」と呼び、精を付けて夏の暑さを乗り切ろうというわけです。

地元びいき スタッフよもやま春夏秋冬の季節の行事に、そして人生の節目に、日本人はスペシャルな食として餅を食べていることがわかります。煮ようが焼こうが、丸かろうが四角かろうが、日本人は餅を食べることで、祝いの気持ちをあらわしています。こんな幸せな食べ物は、あまりないかもしれませんので、餅を食べるときは、ハッピーな気分で食べようとなんとなく思いました。何にもない平時ですが、今日の夕食は餅にしようかしら。

(文・写真 黒川豆)


2015/1/27 更新

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