山鹿灯籠は、和紙と糊(のり)だけで作る精巧な芸術品です。
そのいずれもが、立体的構造作品で、和紙のみを使用して製作されたものとは、判断もつかないほどの重圧感・重量感を備えています。
しかもその部品の中身がすべて空洞で作られていることなど想像もつかない技法で作られ、その繊細優雅さは、まさに紙工芸の極致とまでいわれています。
大きさは、20分の1か30分の1で作られていますが、作品を低めに置いて見るので、実在感を出すために、たては2割から3割大きめに作られています。
第12代景行天皇(けいこうてんのう)筑紫路巡幸のとき、当時今の菊池川一帯は、「茂賀の浦湖(もがのうろこ)」に連なり一面の霧が進路をはばんだので、山鹿の里人は、炬火(たいまつ)をかかげて無事天皇の御一行を迎えたという故事にならいました。その後、これを記念して、たいまつを行在所跡(現在の大宮神社)に献ずる火祭りの行事が行われていましたが、今より約600年前の応永年間、紙細工をの金灯籠を模したものが造られ、景行帝を祀る大宮神社に奉納されるならわしとなったのが、今に見る山鹿灯籠であると伝えられています。(熊本県伝統工芸館HPより)
灯籠作りの鉄則とは
1. 木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで作られます。
2. 柱や障子の桟にいたるまで中が空洞です。
3. 灯籠としての美しさを追求するために、建物などを一律に縮小したミニチュアとしてだけではなく、縦横のスケール等を独自に工夫して作られます。
灯籠師
山鹿灯籠を語るとき、灯籠師抜きには語れません。
山鹿では灯籠製作者のことを 「灯籠師」と呼びます。この灯籠師は高等な技術と熟練を要し、一人前になるには、 十数年の期間が必要です。現在、8月の灯籠まつりに奉納される灯籠は約30基。灯籠師たちは 4月の大宮神社の製作開始祭でおはらいを受けて身を清め、灯籠まつりに向け製作を開始します。 かつて灯籠師は、町内のダンナ筋といわれる富商に製作を依頼されて、その家で手間を惜しまず精巧さを 競いました。門外不出、師弟継承の秘技として代々受け継がれてきました。これによって、灯籠は現在のような、見事な紙の芸術を完成させることができたのです。 現在は、7名の灯籠師が伝統を守っています。昔は女人禁制の時代もありましたが今では、 女性灯籠師も登場し、繊細な感覚を生かした灯籠づくりにはげんでいます。 美しい灯籠は山鹿灯籠民芸館、大宮神社・燈籠殿で見ることができます。(山鹿探訪なびHPより)
2014/3/4 更新
