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日本人と蕎麦考

1か月ほど前に引っ越しました黒川豆です。引っ越しは準備も当日も、そして引っ越してからも住所変更やら何やらと落ち着かないもので、ようやく平穏な暮らしを取り戻したところであります。

引っ越し当日は、なんとなく「引っ越し蕎麦を食べないといけない」という気持ちにかられ、東京も雪が降るのでは? と言われた寒い日でもありましたし、温かい蕎麦を求めて新しい街をストレンジャーよろしくさまよい、結局コンビニでカップ麺の蕎麦を食べて引っ越し蕎麦としました。よしよし、これでよいのだ、引っ越し完了! と、ほっと一息ついたところで、考えました。

「そもそも、なぜ引っ越したら引っ越し蕎麦を食べるのだろう?」てんぷらそば

家族や友人知人に聞き取りをしてみたところ、ほぼ全員が「年越し蕎麦みたいなもので、縁起がいいからじゃない? 」と答えます。ふむふむ、それは言えている。年越し蕎麦は、細くて長いから寿命が延びるのを願って食べる、蕎麦は麺類の中では切れやすいこともあって、災いや厄などの悪いものを断ち切るという意味を込めて食べる、また、細長いので「末長くよろしく」などという意味を込めて食べると言われているからです。

つまり、こういうこと? 引っ越してきた日に、新しい土地の神様かそのような何かに「末長くよろしくお願いします」という気持ちを込めて食べるということ。ならば、納得。

引っ越し蕎麦は自分が食べるものではない!?

と、勝手な納得で済ませてしまっては調査の意味がないので、インターネットや書物で引っ越し蕎麦について少し調べてみました。そしたら自分的には衝撃の事実が……。

”引っ越し蕎麦は自分が食べるものではない”らしい。なぬ!? 引っ越し蕎麦というものは、引っ越してきた人がご近所に挨拶がてら配るものであるという日本人の習慣のこととのこと。私はまったく間違えて、自分だけが蕎麦をずるずる食べていました。お恥ずかしい。

では、このご近所に蕎麦を配る習慣はいつからはじまったのでしょうか――。こちらは、予想どおり、江戸時代からでした。蕎麦といえば、江戸っ子よぉ、ということで。
江戸時代には、引っ越してくると、これからよろしくお願いしますというご挨拶として、蕎麦を家主と向こう三軒両隣に配ったそうです。江戸時代の庶民の暮らしといえば、長屋暮らしが普通で、井戸や厠、洗い場などを共同で使っていたこともあり、ご近所とうまくやっていくことは必須だったわけです。

現在は、引っ越しのご挨拶として、一番人気は洗剤だそうで、確かにもらって困る人もいなければ、買う側としても大した予算は必要なく、最適なプチギフトというわけです。
私といえば、ご近所への挨拶もすっかりサボってしまい、もう1か月。今から蕎麦を配るのもなんとなく時流に乗り遅れた人のようで、江戸流儀で引っ越し蕎麦を配るのは、また次回、数年後でしょうか、引っ越す時にしようと思います。

江戸の庶民が蕎麦をふるまったのは洒落

江戸時代の庶民が、なぜ引っ越しに他のものではなく蕎麦を配ったのか、気になるところです。
最初は、小豆粥を配っていたそうです。ところが、小豆は決して安いものではなく、庶民にとっては贅沢品。それを向こう三軒両隣、つまり五軒分ともなると結構な金銭的負担だったようで、それで代用として蕎麦になったとのこと。
蕎麦は安価でかつ江戸の庶民の好物だったから、もらって喜ばない人もいない、絶好の贈り物になったのです。
それから、「近所=そば」に引っ越してきたということを「蕎麦」で表現して、ダジャレもあるという説も。私は個人的にこの洒落がとても気に入りました。江戸っ子はやっぱり、粋だなぁ、と。azuki

蕎麦を食べる日

さて、引っ越し蕎麦と年越し蕎麦は有名ですが、それ以外にも蕎麦を食べる日というのはあるのでしょうか。気になったので少し調べてみました。
まず年越し蕎麦ではなく、年が明けて正月に蕎麦を食べる習慣の地域があります。
福島県の会津地方は、「祝い蕎麦」と言って、元旦に新年の祝いの意味で蕎麦を食べる習慣があったそうです。また、お隣の新潟県では、1月14日に蕎麦を食べる習慣がありました。1月15日が小正月で、その前日、つまり小正月の晦日である日に蕎麦を食べるという、いわゆる年越し蕎麦と思われる習慣です。

節分に蕎麦を食べる地域もあります。これも1月14日の蕎麦と意味は同じで、風水では、立春から新年がはじまると考えていました。新年の前日が節分、だから節分に蕎麦を食べていたそうですが、こちらもつまりは年越し蕎麦ということですね。

タイムリーなのが「雛(ひな)蕎麦」と言われ、江戸時代には桃の節句の雛祭りに蕎麦が食べられていたという習慣もありました。雛祭りといえば、菱餅を食べたり、白酒を飲んだりということは有名ですが、蕎麦を食べていたというのは初耳。「雛蕎麦」は3月3日ではなく、4日に食べていたとのこと。この意味を調べてみると、雛祭りが終わると雛人形を片付けますが、ひな人形とのまた1年のお別れと、この先1年が永く幸せであることを祈って、家族で蕎麦を食べたと言われています。

そばばたけ

そばばたけ

あるかな? と思って調べると、やはり5月5日の端午の節句にも蕎麦を食べていたようですよ。ただし、ここは翌日ではなくその日でした。男の子の場合は、人形をしまわないと婿にいけないなどという問題がなく何かを片付けるということを特にしなくていいからでしょうか。これについての事実はわかりませんでした。

そのほか、日本全国、特に東日本では、何かにつけて蕎麦を食べていました。以前「庚申塔」についてご紹介した記事に、猿田彦という神様を祀る日には一晩中寝ないで徹夜をしていたということを書きましたが、その日には夜食として蕎麦を食べる習慣があったそうです。

面白いと思ったのが「早乙女振る舞い」という蕎麦を食べる行事。これは新潟県と青森県で行われていたもので、秋の収穫が終わると、娘たちが蕎麦を打って、若い男性にふるまうというもの。男性たちは、お酒を持参して、若い男女が一緒に「夜酒盛り」をしたそうです。これは、現在でいうところの、合コンのようなもので、男女の出会いの場となっていたものです。そのようなエキサイティングな出会いにも、蕎麦が重要な役割を担っていたのです。

引っ越しからはじまって考えた、日本人にとっての蕎麦ですが、1年の節目、人生の節目、そういった大事な場面で食されてきたことがよくわかりました。「細く永く」これが日本人のソウルに大事なものであるのだなぁと。
太くドーンと一瞬華やぐ、ということよりも、日常そして人生は、「細々としていても小さな幸せがずっと永く続きますように」ということを願う国民性なのだと思いました。
そういえば、私が小学生のころ、学校の総合活動という授業では、全校で畑仕事をしていました。そこで蕎麦も栽培していて、収穫すると、老人会の人たちの指導のものと、みんなで石臼を引いてそば粉にして、それを一生懸命打って、給食で食べることがありました。あの日も、あれから何十年経っても私にとっては特別な思い出です。
ただ、残念なことに、私が打った蕎麦は、つなぎが悪いのか、そもそものやり方がいけないのか、太めで短いものでした。江戸っ子が見たら、てやんでぃ! と叱るでしょうか。

この原稿を書いているのは2月末日。閏で1日多い今日という日をなんだか特別に感じるので、今夜は蕎麦と行きましょうかね。日本人黒川豆、「細く永く」幸せに生きたいと願います。

(文・写真 黒川豆)


2016/3/3 更新

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