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にらめっこしたり、転んだり、日本人に親しいだるまさん

新潟育ちの私にとって、新幹線といえば上越新幹線である。上越新幹線名物のひとつが高崎(群馬県)のだるま弁当。だるまの形をした赤いプラスチック製のお弁当箱に、炊き込みご飯や煮しめなどが入っている。お弁当箱が丸いからか、中身も丸いもので統一されているところがかわいい。私がとくに好きなのが、小さい丸茄子のおつけものだった。はじめてだるま弁当を知ったのは、私がまだ幼児のころ、祖父が東京から帰るときお土産として買ってきてくれたもので、食べ終わった後はだるまの貯金箱になった。なぜこんな話を書いているかというと、先日久しぶりに上越新幹線に乗ったので、だるま弁当が懐かしくなってしまったというわけ(ちなみに祖父が東京に行っていたころはまだ新幹線はない)。だるま弁当そういえば、幼児は「赤くて丸いもの」が好きと聞いたことがある。だからアンパンマンが大人気なのだと。十二分に成人しきった私であるが、「だるまちゃんとてんぐちゃん」という絵本シリーズが大好きだ。赤くて丸い体に肌色の長い手足を持つだるまちゃんが、てんぐちゃんをはじめお友だちと遊びながらいろいろな教訓を学んでいくとてもいい絵本。私に子どもがいたらぜひ買ってあげたい絵本のひとつだ。子どもがいないので、30代の友人(こちらも未婚女子)の誕生日に贈ったりしている。喜ばれているかは別として。

だるまは、日本人にとって、子供のころから親しみのあるもの。なぜなら誰でも遊んだことがあるだろう「だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ」の遊びにも登場するし、冬に作るスノーマンも日本語では雪だるまという呼称だったり。だるまさんとにらめっこ、あっぷっぷなどの記憶もあるだろう。私が好きだった且つ得意だった玩具だるま落としも、そういえばてっぺんにだるまの顔が乗っている。だるまに関係ある身近な事柄を考えれば考えるほど日本人に親しいだるまさんがもう気になって仕方なくなってしまったので、今回はだるまについて調べてみることにした。

だるまさんこと達磨大師は禅宗の僧侶

だるまのモデルは、禅宗の僧侶である達磨(だるま)大師。南インド出身のインド人だ。言われてみれば、肖像画の中の目力が強く、立派な黒ひげを蓄えた浅黒い肌は日本人や中国人ではないだろうとわかる。達磨は、紀元前4世紀の終わりごろ、インド南部の香至国の第三王子として生まれた。たいへん聡明な王子だったらしく、国王が亡くなった後に、出家して僧侶になった。般若多羅(はんにゃたら)という高僧の元で40年にわたって修行したのち、インド各地に仏教の教えを広めて歩いたという。その時点ですでに高齢であっただろうに、般若多羅の遺言に従って中国へ布教の旅へ出かけた。達磨大師

インドや中国各地で神通力を駆使した伝説がたくさん残っているらしい。キリストもブッダも、神通力を使えたらしいので、神仏に選ばれし者についてはこのような伝説が残るのが通例であるようだ。中国での有名なエピソードは、歓待された梁の武帝との問答と、崇山の少林寺で9年間に及び壁に向かって座禅をした「終日面壁而座九年」という修行である。問答の内容はとてもかっこいいのだが、ここでは言及しないので、興味のある人はぜひ調べてみてほしい。死後、達磨には「偉大なる師」という意味で高僧の敬称として使われる「大師」号が贈られ、禅宗の開祖として今に伝わっている。
達磨大師の教えが日本に伝わったのは、鎌倉時代であり、この教えが禅と呼ばれ、禅宗という宗派が生まれた。禅宗が広まるとともに、達磨大師の肖像や伝説を描いた画も中国から伝わり、日本でも禅僧が達磨大師の肖像画を描いたりした。私たちが目にする達磨の肖像はそのころのものだろう。

だるまが丸くて、起き上がり小法師のような形をしているのは、達磨大師の座禅の姿だと言われている。「終日面壁而座九年」の修行によって達磨の手足が腐ってしまったという伝説があり、ここからだるまは手足がない状態で作られたとも言われている。

日本全国だるまのいろいろ

起き上がり小法師のような形とだるまを表現したが、もともと起き上がり小法師とだるまは別物だった。置物の底を丸くして、倒しても倒しても起き上がる小法師は、丸くて手足がない形状なので、これに顔を描いてだるまと混同されるようになったそうだ。火や血の色である赤は日本では古来より魔除けの色とされており、赤い衣をまとった(というか全体が赤く塗られた)だるまは魔除けの縁起物となっていく。江戸時代以降、だるまは日本全国で盛んに作られ、紅白そろえてもっと縁起よくと、白いだるまも作られるようになる。昭和以降になると、赤白だけでなく、黄色、緑色などの色をしただるまもつくられるようになった。現在は、サッカー日本代表ユニフォームを着た青いだるまや、ハローキティとコラボした猫なのか達磨なのかわからないだるまなど、色も形もかなり開放的になっている。

起き上がり小法師

起き上がり小法師

だるまは作られる地域によってその形状や色、材質などが異なっていて、その地域名をつけて区別されることが多い。いくつか紹介したい。
まずは身近なところで、東京のだるまから。そのまま東京だるまもしくは多摩だるまと呼ばれる。明治から作られはじめただるまで、生糸や絹の産地である旧武蔵国の中でもとくに多摩地域のだるま市でよく知られるらしい。その地域性から、養蚕農家が神棚に供えた物であった。長野の一部地域にも養蚕農家がだるまを備える習慣があり、買って来ただるまを神棚に供え、1年経って豊作だった時は目を入れてお返しをし、また新しいだるまを買うという。

お隣埼玉にあるのが、越谷市で作られている越谷だるま。武州だるまとも呼ばれ、江戸時代の享保年間「だる吉」という人形師が、従来あった「起き上がり小法師」という玩具に座禅を組んだ達磨大師を描いたのが始まりといわれている。川崎の川崎大師や寅さんで有名な柴又帝釈天など関東の寺院をはじめ、全国に広く出荷されているだるまだ。現在でも埼玉県内で年間約40万個も生産されているが、そのほとんどが手作業によるという。越谷だるま

そしてだるま弁当の高崎だるま。なんと、全国の80%に相当する年間170万個が生産されている。現在、選挙の際に立候補者が左目玉を墨で入れ、当選したら右目玉を墨で入れる「選挙だるま」のほとんどが高崎で生産されている。冬に風が強く乾燥する、いわゆる空っ風が吹く高崎は、その気候がだるま作りに適しており、農閑期の副業として盛んに行われたそうだ。

そのほかにも、仙台の松川だるまや福島の白河だるまなど有名なだるまが多数あり、いずれも地域の気候や文化、歴史を内包しただるまとなっている。

時代とともにだるまの役割もいろいろ

昭和生まれの私が、だるま落としの玩具が得意だったと書いたが、だるま落としが流行したのは戦前のこと。そのころはだるまの形の起き上がり小法師やだるまの貯金箱も子どもたちにとても人気があったという。玩具としてのだるまは戦後廃れていくこととなり、縁起物としての役割をまっとうすることになった。

だるま落とし

だるま落とし

江戸時代は魔除け厄除けとしての役割が強く、とくに江戸後期に疱瘡(ほうそう)が流行ったときは疱瘡除け専用のだるまが作られたそうだ。どうも赤という色は病気を治す色として信じられていたようで、「疱瘡は赤を忌む」と伝えられて、だるまにお願いしたのだろう。

高崎のだるまが、選挙で活躍していると触れたが、現代の役割の中でもっとも大きいのが、「選挙だるま」としてのだるまなのではないだろうか。達磨大師の肖像画は、吸い込まれそうな目力を持っているものが多いが、だるまにとっては目が命なのかもしれない。目を入れてみたことがある人はわかるだろうが、目の入れ方で表情が変わり、まじめになったりおどけてしまったりする。

先ほどの養蚕の豊作という願いに限らず、もともとは買った人が片目を入れて願いをかけ、叶ったら両目を入れて買ったお寺や神社に返した縁起物だった。健康を願う人もいれば、商売繁盛や恋愛成就を願った人もいただろう。

では、右目と左目、どちらを先に入れるべきなのだろう。調べてみた。
「だるまの目の入れ方は密教の「阿吽」からきているといわれています。「阿」はすべての始まり、「吽」は終わりを示しています。「阿吽」で宇宙のすべてを現しているそうです。左目から入れるというのは、陰陽五行からきています。だるまの赤は火をあらわし、火は南の方位を示します。陰陽五行では、東より物事が生まれ、西で無くなるといわれており、だるまを南に向けた場合、東が左目、西が右目の方向を示しているからではないかといわれています。しかし、明確な決まりはなく、選挙では右目からいれることが多いようです。」(「だるまの目の入れ方」より)

つまるところ、どちらから入れてもいいようだ。達磨大師が中国で9年間も壁に向かって一点を見つめていた、その目。禅宗では、達磨大師の目は悪霊を退散させる威力を持つと同時に真実を見透かす力を持っていると言われている。そう言われると、だるまに目を入れるときは、心して入れなければならない気になってくる。

だるまについて調べてみると、身近で親しみのある存在であるにもかかわらず、その奥深さにとても私などが3000文字そこそこで語れるものではないことがわかった。私自身、何冊も本を読み、だるまの魅力にとりつかれている。以下に参考とした文献をあげるので、図書館などで見かけた際には、少しページをめくってみてほしい。きっと、全国各地で開催されているだるま市で、自分のだるまが買いたくなるだろう。私は間違いなく、買い、そして目を入れる。こう願うのだ。「読者が笑みを漏らしてしまうような、もっといい文章が書けるようになりますように」と。

参考文献
「日本のだるま」 (今泉實兵・水野康次)徳間書店
「だるま 達磨 ダルマ」(伊澤彌男)創造社
「新達磨百図」(石田豪澄)秀作社出版
「The・禅」(原田雪渓)
「ダルマの民俗学」(吉野裕子)岩波新書

(文・写真 黒川豆)


2015/6/2 更新

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