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山田湾に生きる、現代の“海賊”〈みちのくエイミー そぞろ旅〉

いのちを感じる瞬間って、みなさんはどんな時でしょうか。
案外、日ごろは感じられないものです。「生きていることがあたりまえ」になってしまう。

風邪をひいて、はじめて体温を意識したり。
怪我をして、はじめて身体の造りを理解したり。
おなかを痛くして、はじめて内臓のありがたみを知ったり。

現代社会では、そんなふうな「非日常」にならないと、なかなか「いのち」を意識できない。
そんなことはありませんか?

・ * ・ * ・ * ・

こんにちは、東北地方の話題を中心にお届けしているエイミーです。
今回は私が大好きな、岩手県山田町に生きる、8人組の漁師についてご紹介します。

彼らは「第八開運丸」。腕っぷしと飲みっぷしが最高にいい、8人組の漁師集団です
彼らが住まう山田は岩手県の沿岸の中でも、真ん中あたりに位置する町です。山田湾という遠浅の湾があって、この海は私の中の「東北の海」のイメージを覆しました。白い砂、青い海!! 浅瀬に裸足で入ると、小魚が足をつんつんしてきます!! まるでリゾート地のような美しさです。 第八開運丸海賊団 東北食べる通信CSAこの海で漁をする「第八開運丸」は、それぞれが日本の海、または世界の海で腕を磨いてきた超一流の漁師による漁師集団です。
山田町は、震災以前は人口2万人弱の町だったと言います。沿岸の漁師の町は東日本大震災で多大な被害を受けて、816名の尊いいのちが奪われたと言います(平成25年12月27日18時現在。山田町震災復興事業HPより)。

第八開運丸はそんな状況の中でもいち早く立ち直り、海に繰り出しました。たとえば、まだ震災後の混乱が残る中、「津波で宮城県にあった養殖場が決壊した。」という情報を聞きつけると、「潮の流れから言ってこれは北上するに違いない!」と考えて船を出し、魚の群れを一網打尽にしたと言います。
また、震災の影響で山田の漁協は人的にも設備的にも大打撃を受けて、機能しなくなってしまいました。そこで、震災後は捕れた魚を自分たちで直接内陸に運び、直売を行う「漁師の商社」としての活動も開始しました。今では月に2~3回は岩手県の内陸部で直売会を行っています。
リーダーの柏谷智康さんは、「これからは腕のいいものだけが生き残る時代が来た」といいます。震災で既存の役割分担やシステムが壊れたことで、逆に彼らは生き生きと自らの腕で勝負をかけられるようになったのです。

そんな中、次に彼らが目指すのが「いのちの学校」です。
と言っても、校舎があるわけでも、テキストがあるわけでもありません。
生き物を海から捕ってきて、自分の手で生命を頂く。波にのまれたり、岩肌に叩きつけられたり、自分もいのちをかけながら自然に挑戦していく、漁師という生業。そこは「いのちの現場」です。それを都市部に暮らす人々に見学したり体験したりすると、皆が生き生きして都会に帰って行くのです。第八開運丸海賊団 東北食べる通信CSA

都市部では、自分たちも生き物であるにも関わらず、「いのち」を感じる機会が極端に減っています。本来人は、他の生物のいのちを頂かないと生きていけないし、自分のいのちを燃やさないと自然に勝っていけない存在です。しかし、一次産業の現場と遠く離れた都市部で「いのちを食している」という実感は持ちづらく、また自らのいのちをかけなくても生きて行けてしまいます。反面、生活実感が希薄で、生きがいややりがいを感じづらくなっている。そんな中から、心身ともに不調を来す人もいる。

そんな人たちに向けて、第八開運丸はツアーなどを積極的に受け入れ、漁師の仕事を感じてもらっています。実際に漁の手伝いをしたり、捕ってきたものを一緒にさばいたり、底抜けに明るい宴を開いてともに食したり。
いのちの現場に触れて、自分のいのちに気づき、生きる活力を蓄えてそれぞれのフィールドに戻る。それが漁師の目指す「いのちの学校」です。(写真・文 エイミー)第八開運丸海賊団 東北食べる通信CSA

【FB】第八開運丸
【HP】第八開運丸海賊団(東北食べる通信CSA)
【HP】東北オープンアカデミー 漁師がはじめた「商社」と「命の学校」
〈みちのくエイミー そぞろ旅〉シリーズはこちら

 

 


2015/3/18 更新

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