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「つつむ」文化〈常陸太田びいきな小坂の窓〉

日常を切り取ったあれやこれやを書きつづる「よもやま」ページ。
地元びいきな方々も増えて来て、それぞれの発掘隊が気になったテーマを持ち寄り「へ〜! そうだったんだ〜!」といった小ネタがちょっとずつ増えて来ました!
そこで、全国にいる発掘隊員の方々が気になっているテーマや、◎◎びいきな話を発信するコーナーを作っていくことにしました。
さっそく今回は、茨城県日立市出身で現在は常陸太田市に住み、会社員の傍ら発掘隊として名乗りを挙げてくれた小坂さんが、茨城県にまつわる情報やちょっとした小話を発信していくコーナー、題して「小坂の窓」!をスタートします。

生まれ育った地元、故郷、暮らす町、働く町など、思入れのある地域情報や気になるテーマがある方は、「よもやま」ページを活用して地元愛を発散、発信しませんか?

どなたでも参加できる「地元発掘隊のタマリバ」では、毎月第3水曜日にオープンな編集会議を開催しています。現地参加ができない方はSkypeでの参加や、FBグループページを活用した情報交換などを行なっていますので、発信したい情報がある方や、地元、地域に関わることを始めてみたい人など、どしどしご参加ください。不明点などはご遠慮なくお問い合わせください。よろしくお願いします。(地元びいき)

【FB】地元発掘隊のタマリバ(グループページ)
【HP】地元びいき「お問い合わせフォーム


はじめまして、今年から茨城県常陸太田市および、茨城県の発掘隊として登場させていただくことになりました小坂です。

突然ですが、、、みなさんは風呂敷を使った事がありますか?
私は風呂敷と聞いて連想するのは「ドロボウの風呂敷」です。子供の頃のマンガや、新聞のイラストでドロボウが金品を風呂敷に包み首にしばしに逃げる絵が多く掲載されたのが影響しているのかもしれませんね…。
この「泥棒さんのふろしき」としてイメージされる唐草のふろしきは、だいたい明治30年代から40年代にかけて大量に生産されるようになり風呂敷ブームのきっかけとなったと言われています。

さて、先日のことです。デパートにて贈答用の和菓子を購入した際に、お店の方がしぼりの柄が入った紙の風呂敷で、お菓子を入れた箱をつつんでくれました。「これで十分!」が率直な気持ちでした。ここまでは問題なしです。そのまま渡される事を心に思い待っていると、何もなかったかの様に紙袋に入れられ渡されました。
あれれ!? 何のための風呂敷? 大切な物をつつみ持つための風呂敷が台無しになり、ちょっと複雑な気持ちになった出来事がきっかけで、今回は「つつむ文化」について調べてみました。
あれ~こんな気持ち私(50才を超えてるおじさん)だけ!?
とはいえこの「つつむ文化」なかなか侮れません…。
「つつむ」歴史から、現在の「つつむ」&「風呂敷」事情までを紹介します。

風呂敷 つつむ

 

奈良時代において、風呂敷は、包みものとして使われていました。その記録として奈良正倉院の蔵の御物を包んだ収納専用包みがあります。写真の下に包んだ物の名前が書かれています。平安時代の「倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」(935年頃成立)では、「古路毛都々美(ころもづつみ)」と呼んでいたそうです。後鳥羽天皇の文治4年(1188年)、四天王寺へ奉納された扇面古写経(画像参照) 巻七 市場図の下絵に女房が衣類を包んで頭上運搬する姿が見られます。

風呂敷 つつむ

風呂敷 つつむ

扇面古写経

室町時代に入ると、将軍・足利義満が近習の大名のもてなしとして風呂へ入れたところ、大名達は脱いだ衣服を家紋入りの絹布で包み、他の大名と衣服がまぎれないようにした行為が記録として残っています。当時の風呂は蒸気浴のため床に布などを敷きました。風呂で敷く布は、たしかに風呂の敷きもので「風呂敷」と呼ぶことが的を得た名称でしょうね。

時は流れて江戸時代。都市生活の発展により湯屋営業も普及し、入浴料をとって風呂に入れる銭湯が誕生しました。人々は手拭・浴衣・湯褌・湯巻・軽石・洗い子などを風呂敷に包み銭湯へ通うようになりました。そして風呂敷は、やがて銭湯などで他人のものと区別しやすいように家紋や屋号を染めるようになっていきました。

明治に入り市民平等の思想が国によって広められ、平民までもが名字・家紋を持つようになると、にわかに紋章入りの風呂敷が増え進物用として使われるようになり、実用品であったふろしきの新たな需要を呼び起こすこととなりました。
戦後になると、合成繊維の風呂敷が次々と製品化され、東京オリンピック、当時の市町村合併などで風呂敷需要が巻きおこりました。

そして時が流れ、紙の包みと紙袋がデパートなどに登場し始めます。それが昭和40年頃です。その後、ビニール袋も登場し、風呂敷の出番は益々に減ってゆき、風呂敷を持って歩く人の姿を見かける機会が少なくなっていきました。
ところが最近になって、過剰包装やエコという視点、また若い世代が「日本文化は面白い」と関心を持ち始めたことなどから、ふたたび風呂敷が見直されつつあるようです。

ちょっとネットを検索してみると、つつんだ時に絵が出来上がる面白い風呂敷を老舗の繊維メーカーが販売していたり、風呂敷を使ってバッグをつくる「風呂敷バッグ」が流行っていたりと、これまでの風呂敷のイメージをがらりと変える商品や使い方があちこちで見られるようになりました。もちろん「すいか包み」や「一升瓶包み」といった「風呂敷の真髄」とも言えるつつみ方も、あちこちのサイトで紹介されています。

風呂敷 つつむ

つつむことはもちろん、あるときはバッグに変身したり、和装に合う柄、洋服に合う柄、素材ひとつをとっても多種多様なのが現在の風呂敷。
これまでは、どちらかというとハレの日に使うイメージが強かった「つつむ」文化。
ライフスタイルやファッションの変化に合わせて進化を遂げ、誰もが気軽に楽しく「つつむ」ことができるようになり、ちょっと遠い存在だった風呂敷も身近なモノとなってきたと思いませんか?

風呂敷 つつむ

何かがきっかけで見直され、ふたたび注目を集める日本の文化。
今回は「つつむ文化」について調べてみました。
まだまだ眠っている「すてきな日本文化」があるかもしれませんね。

(文 小坂哲郎)

(参照・画像出典)
宮井株式会社“風呂敷の知恵”
ふろしきの美とこころ“ふろしきはものの衣装でありファッション”
風呂敷バンドでおしゃれな風呂敷バッグを

〈常陸太田びいきな小坂の窓〉シリーズはこちら


2015/2/17 更新

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