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《シリーズ #2:移住して地方で働くという選択》 − 兵庫県丹波市 編 −

「移住」をテーマに各自治体の取組を紹介したり、移住した方からの暮らしの情報など、移住についてのお役立ち情報を発信するシリーズ企画の2回目。

丹波市 移住

今回、紹介するのは「兵庫県丹波市」。
地理的には兵庫県の東部に位置し、瀬戸内海と日本海のちょうど真ん中辺り。大阪や神戸から丹波市内の中心地まで、電車を使えば1時間ほどで行くことができる。人口は7万人程度。
農業が盛んで、「丹波の黒豆」など全国的にブランド価値のある農作物の収穫も行われている。

この丹波市でいま、20代を中心とした若者のIターンが増えている。
特徴的なのは、移住してきた人のうちの多くが丹波市でシェアハウスをしているということ。
今なぜ、丹波市に移住した若者たちの中で、シェアハウス文化が根付きつつあるのだろうか。
移住者受け入れのキーマンの1人でもある、市議会議員の横田親(いたる)さんにお話を伺ってきた。


丹波にIターン移住した横田さん
横田親 移住 丹波市

横田さんは三重県出身の現在32歳。大学卒業後に人材紹介会社であるリクルートエージェントを経て、28歳の時に丹波市にIターン移住をしてきた。
大学院に通っていた際に、果実の加工品に関する論文研究で訪れたことが、丹波市と出会うきっかけとなった。
自分自身が魅力を感じたそのまちは、他の地方自治体が悩んでいるのと同様、人口減少による過疎化が進む現状を目の当たりにし、ここを活性化することで、「世界に誇れるモデルケースにしたい。丹波ならそれができるんじゃないか」という想いで移住を決意したのだそうだ。
その後、30歳の時に丹波市議会議員に立候補。見事当選を果たし、現在、市議会議員として活躍し、丹波への移住を希望する方の窓口役としても活動されている。 (横田さんの選挙活動に関しては、こちらの記事に詳しい)

1年間で丹波のシェアハウスに移住してきた若者は34人
横田さんが語る丹波のシェアハウス事情

丹波に初めてシェアハウスができたのが、2013年1月。それから、1年半で合計8軒のシェアハウスが誕生した。
シェアハウスが始まるきっかけは、2〜4人ほどの若者が地方から友達同士などで丹波に集まり、そこからスタートすることが多いという。
シェアハウス同士で交流もあり、若者たちのつながりも強く、丹波市のシェアハウスにIターン移住してきた若者は、横田さんが把握されているだけでも34人。
移住者の職業は農業をはじめ、丹波で飲食店を開業している方、IT企業に勤務の方など様々。
そして、それぞれのシェアハウスは共通のオーナーがいるという訳ではなく、全国各地から若者が自然発生的にやってきて増えてきているのだそうだ。
なぜ、いま丹波に若者が集まってシェアハウスを始めているのか?
横田さんが想う、その理由を訊ねてみた。

丹波市には人が人を呼んでくるいい循環がある

なんで、丹波で多くのシェアハウスができているんですか?という問いに、

「2013年に最初のシェアハウスが1つできたということは大きいと思います。でも正直な話、僕にもここまで増えた理由は分からないんです。しかし、結果的にシェアハウスが増えていることで、シェアハウスをやりやすい文化が丹波には育っている。」 横田さんはそう答えてくれた。

シェアハウスが増えた理由と直接的な関係あるかは分かりませんが、という前置きがあった上で、丹波に移住者が増えている要因に関しては、はっきりとした理由があるという。
それは、丹波に移住したい人に対して、まちの人が積極的に関わっていくという文化が浸透しつつあるということ。 実際に移住を決断する際に大きなハードルとなるのが、その地域でいい人間関係を築けるかどうか。その壁をできる限り、取り除けるようなネットワークが丹波にはあるという。
私も実際に丹波を訪れて、Iターン者や地域の方と話をしてみたところ、皆さんがそれぞれに抱く丹波の魅力を語ってくれて、丹波という土地と人に親しみを感じることができた。
そして、「丹波の魅力って何ですか?」と伺ったところ、その多くの方が「やっぱり住んでいる人が魅力的ですね。」と答えてくれた。
「ぜひ、丹波への移住を検討してみてください。色んな人がサポートしてくれますよ!」 と、あるIターン移住者の方がおっしゃっていた言葉が印象的である。

この言葉を聞いて、丹波には、人が人を連れてくる良い循環ができ上がっていると強く感じた。

始まりは、Iターン移住者専用シェアハウスの「みんなの家」

2013年にできた丹波初のIターン移住者専用のシェアハウスが「みんなの家」。
Uターンで丹波に戻って来られた前川進介さんが、過疎化が進む丹波市のまちづくりのきっかけになればとスタートした。前川さんのシェアハウスに対する想いは、前川さん自身のブログの記事に詳しく書かれている。

記事によると、シェアハウスをつくった目的は、
「有能なIターン移住者の方と一緒になって、丹波が抱える課題を解決していくこと」

記事中の前川さんの言葉をお借りすると、
「都市部でサラリーマンやってたけど、そろそろ日本の課題に着手したいと思っててん。田舎は過疎化が進んでいて、課題を解決する人材も少ないと聞いている。よし、そんなに課題山積なんやったら、ここはいっちょ人生かけて田舎で挑戦したろか!貯金はそんなにないけど、どないにかなるやろ!」

そんな、前川さんが語るような熱い想いを持った方々が集まるシェアハウスだ。

今回、実際に「みんなの家」を訪れて、現在、住まれている方にインタビューを行ってきた。

〈インタビュー:丹波へ移住し、シェアハウスでの暮らしについて
●横山湧亮さん cafe勤務

横山湧亮 丹波市 移住

現在は大学を休学し、「みんなの家」に併設されているカフェで働いている横山湧亮さん。

「本質的な豊かさとはなにか?それを追求して自分自身で確かめたい。」

それが、人生の中で1つの目標だと語ってくれた横山さん。その解を探すために理系の大学に進学し、研究に没頭。しかし、テクノロジーが発達してもなお、様々な問題を抱える日本の現状を目の当たりにし、テクノロジーは自分が思っている本質的な豊かさに直結するのだろうか、と疑問を感じたという。
そんな時に、横山さんは震災の復興支援で東北を訪れる。
自然の中で生活をし、現地の人々と交流を深めるなかで、普段は体験できない豊かな時間がそこには流れていた。

「本当の豊かさは人と人とのつながりにあるのではないか」

そう想うようになり、就職活動をやめ、人とのつながりが持てる地域を探した。
インターネットのサイトがきっかけとなり、「みんなの家」のオーナーである前川さんを訪ね丹波へ。
いつか、食に関わる仕事をしたいと考えていた横山さんは、前川さんにそのことを伝えると、「うちで、もうすぐカフェをオープンするから、そこやってみれば?」と後押しをされ、丹波への移住を決断したそうだ。

実際に丹波を訪れてみて、都会にはなかった豊かな人と人とのつながりが、ここにはあると感じているという。
「言葉で表現するのは難しいが、丹波での人とのつながりは作られたものではなく、みんなが自然につながっていて、それが心地良い」と、横山さんは話してくれた。
丹波の地でこれからも本質的な豊かさを探しながら、生活を続けていくそうだ。

柔道整復師の山根さん

山根 丹波市 移住 柔道整復師

次にインタビューをしたのが、2012年11月に山梟柔道整復所を開業された柔道整復師の山根崇志さん。山根さんのお母さんが丹波の出身だったことがきっかけ。
体育大学卒業後に接骨院でアルバイトをしている際に、たくさんのお年寄りの方が喜んでくれる姿を見て、この仕事を志した。 それと同時に、ご自身のおじいさんが喜ぶ顔をいつでも見られる丹波で開業することを決意したそうだ。
アルバイトを続けながら、専門学校に通い柔道整復師を取得。その後、丹波で山梟柔道整復所を開業となる。
体育大学時代の経験を活かして、地元の子どもたちにボールの投げ方教室も実施されている。

山梟柔道整復所 丹波市

山根さんが経営されている山梟柔道整復所

「丹波は夕焼けや夜空など、自然を感じながら生活できることが魅力的だし、車を使えば生活に必要なものの購入にも困らない。田舎ではあるけど、田舎過ぎないところが丹波の魅力」そう語ってくれた。

■今回取り上げた自治体
兵庫県丹波市

【HP】兵庫県丹波市役所
【FB】シェアハウス 「みんなの家」

取材協力:丹波市議会議員 横田親さん、シェアハウス「みんなの家」に住まいの皆さん
文:足立直之(地元びいき)

 


2014/6/20 更新

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