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【十津川村瀞(どろ)ホテル】景勝地・瀞八丁で歴史を受け継ぎ今に伝える

美しき景勝地で蘇らせる歴史あるホテル

吉野熊野国立公園内の奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の大峡谷。その幽水美は古くから世に知られ、太古の自然のままの大峡谷に圧倒されてしまう。その場所は、荘厳で美しく、親しみをこめて「瀞八丁(どろはっちょう)」と呼ばれ親しまれている。

わが小指 絹となれぶる それよりも かかる筏を 渡す水かな
与謝野 晶子

有名な歌人も足を運ぶ、誇るべき景観。

瀞ホテル瀞ホテル

この峡谷のがけの上には、建物がある。それは築100年以上、開業96年の元旅館「瀞(どろ)ホテル」。大正6年「あづまや」として開業し、当初は山で切り出した材木で筏を組んで運ぶ「筏師(いかだし)」のための宿だった。その後「招仙閣」と名を変え、昭和初期には「瀞ホテル」という名称となった。当時は他の宿屋も多数あり、宿泊地として賑わっていたとのこと。しかし、戦後多くの宿屋は取り壊され、今では「瀞ホテル」だけが、当時の筏宿の歴史をしっかりととどめている。その素晴らしい歴史的建造物は、いま「食堂・喫茶」として昔の良さと共に新しい歴史を刻み始めている。

瀞ホテル瀞ホテル

生まれ育ったこの場所にカフェを作るということ

「瀞ホテル」というカフェのオーナー、東達也さん。
お父様が亡くなられてから、この建物はホテルとしての長い歴史にいったん幕を下ろしたのだった。そして、跡継ぎである達也さんが建物を蘇らせ、いまはひとまず食堂・喫茶として営業している。「瀞ホテル」のある十津川村は、実は「日本最大の面積を持つ村」なのだが人口は約3,800人。やはり「過疎」が進む地域のひとつである。そのような地域環境の中で、達也さんを突き動かしたきっかけは2011年8月の台風による被害であった。紀伊半島を直撃した台風12号は十津川村の各地にも大きな被害をもたらした。歴史的建造物である「瀞ホテル」も別棟が流されるほどの被害であった。その自然災害から、達也さんは「瀞ホテル」の再会を目指し、改修をはじめ「まずはカフェから」と少しずつ建物を直し、強い行動力を示した。

瀞ホテル瀞ホテル

瀞ホテルは、大正から昭和戦前期に建設された木造和風の建築。瀞の水面より15メートルの巖上に建てられている瀞ホテルの建築特徴は、断崖絶壁という敷地の制約を逆手にとって、その場所の特性を巧みに読み込んだ空間構成が採られた点にある。この建物は急傾斜地に特有の建設法である吉野建てにも似た手法によって構築されているために、山側と谷側では階数が異なる本館の屋根裏には太い松材が竜骨のように桁行き方向に入れられており、大工棟梁による設計施工であったと考えられる。最上階の客室には6畳間が2部屋連なり、この2室の間の欄間には瀞ホテルならびにその廻りの岩場の景観をそのまま彫り込んだ彫刻が嵌る。その図柄は瀞ホテルの外観を若干デフォルメしながらもそのまま映し込んだものである。このことからもこの空間がもっとも格式の高い客室と設定されていたことがわかる。川側には戦後の造作だと思われる洋風のベランダが取り付く。

瀞ホテル

自然災害に屈することなく、行動を起こした達也さんの強い意志は、この瀞ホテルの素晴らしい歴史をいまに伝え、後世にも受け継がれる、未来に向けた一歩であった。これからも生まれ変わった「瀞ホテル」は、遠くから訪れる旅行客をはじめ、地元に住む人たちにとっても、大切で賑やかな集いの場になっていくに違いない。十津川村には、「過疎」問題を解決に向ける大きなヒントがあると感じた。ますます元気な十津川村に、これからも注目である。

『十津川村瀞ホテル』の活動の様子を公式HPで発信中
文・写真 十津川村瀞ホテルHPより転載

【HP】瀞ホテル
【FB】瀞ホテル


2014/6/12 更新

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