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〈日本の伝統技術:雪深い山峡の生業「農民鷹匠」〉秋田県出羽山地

出羽山地に囲まれた秋田県雄勝郡羽後町上仙道桧山。ここで多くの鷹匠が生まれ育ったそうです。その数45人。
自給自足の農業を営みながら、伝統の鷹狩りを守り続けた最後の鷹匠が、武田宇市郎さん(平成4年死去、77歳)。雪深い秋田の奥地、その厳しい自然の中で生きてきた鷹匠の人生は、人間の心を打つ何かがあるようです。武田宇市郎 鷹匠

クマタカを使ってウサギ狩りを伝承する鷹匠は、近代化の波に呑まれ、戦後みるみる姿を消していきました。伝統的な狩りの中でも鷹匠の場合は、後世に伝えるための条件が極端に悪かったのが原因と言われています。
マタギの鉄砲に比べ、クマタカは年中養わなければならない生き物です。特殊な技能を要求される割に獲物は少なくなり、売り物にもならなくなったからです。

鷹匠、武田宇市郎さんが住む羽後町上仙道桧山集落は、仙道川沿いに点在する集落の最も奥地に位置します。戸数16戸、耕作面積はわずか4反歩。日照時間が短く、冷たい沢水を引いての湿田の収穫は少なく、山峡の村の歴史は、厳しい自然と対峙しながらの貧困と凶作との闘いでした。こうした悪条件が鷹匠という伝統習俗を生み出しました。
秋田県内の山村には、狩猟を生業としたマタギ集落として、阿仁町、田沢湖町、西木村、鳥海町などがあります。いずれも農業だけでは生きていけない山間の奥地に位置しています。武田宇市郎さんが住む上仙道集落もまた、実はマタギ集落でした。古くから農耕を営みながら、狩猟期の冬と春には山岳を歩いて狩猟に専念していたのです。
雪の深山を登ってウサギをとるなどという苦行は、武士のやることではない。この周辺の山村農民が、狩りの上手な鷹に目をつけ、相当古い時代、独自に始めたと推測する人もいるそうです。(「最後の鷹匠」HPより)


2014/5/14 更新

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