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またひとつ、日本らしい文化から生まれた職業が消えた

「あなたは もう 忘れたかしら 赤い手ぬぐいマフラーにして 二人で行った横町の風呂屋」

という歌い出しの歌謡曲「神田川」(かぐや姫・1973年発売)は、1970年代のヒットソングだが、歌詞には連れだって銭湯に行く男女が登場する。少し前まで、日本では“風呂といえば銭湯”に行くという習慣があった。
東京都には、上京してきた学生や出稼ぎ労働者も多く、彼らにとって銭湯は生活になくてはならない場所であった。昭和40年、東京都内に銭湯は2600軒以上あり、どの街でも背の高い煙突があって、それを目指して歩いて行くとお風呂にありつけたという。

ところが、平成入ると毎年100軒単位で減っていき、平成20年には800軒ほどになった。ボイラーの発達と一般家庭への風呂の普及によって銭湯に行く必要のない人が増え、経営が成り立たなくなった銭湯が次々と廃業していったのだ。

ところで、銭湯の激減とともに、日本から、あるひとつの職業が消えてしまったことは、ご存じだろうか。三助

2013年12月29日、日本から「三助(さんすけ)」が消えた――。

「三助(さんすけ)」とは、銭湯で入浴する客の背中や髪の毛を洗う仕事を行う男性のことである。
「三助」に背中を流してもらいたい客は、番台で申し出て料金を払い、札をもらう。浴室に札を置いて入浴していると、番台から、背中流しを希望する客がいる旨を受けた「三助」が洗い場に入り、客の希望を聞いて背中を流したり、髪の毛を洗ったりする。
「三助」は男湯女湯問わず仕事を行い、銭湯で働く男性の中では、最も給料のよい仕事であったといわれている。銭湯に行って、その道のプロフェッショナルに背中を流してもらうことは、風呂好きの日本人にとっては最高の贅沢であり、「三助」という仕事は昭和の中ごろ隆盛を誇ったという。

銭湯とは切っても切り離せない職業であるがゆえ、銭湯が無くなっていくとともに、「三助」も自然消滅していくこととなった。最後の「三助」は、東京都荒川区東日暮里にある銭湯「斉藤湯」で50年、人の背中を流し続けてきた橘秀雪(たちばなひでゆき)さんであったが、高齢のため2013年12月29日をもって廃業している。この日、日本らしい文化から生まれた職業がひとつ、消えてしまった。

銭湯と「三助」の歴史

「三助」の活躍の場となる銭湯の歴史をたどってみると、奈良時代までさかのぼる。仏教における沐浴の場である「浴堂」が寺院の中に設けられたことが起源といわれている。
鎌倉時代になるとそれが一般にも開放され料金を徴収するようになり、室町時代に入ってから、商売としての銭湯開業が増えていった。庶民が気軽に利用できるようになり、全盛期を迎えるのが江戸時代。庶民が暮らす長屋にはもちろんのこと、商人の家でも風呂などなく、人々は当たり前のように銭湯に行く。
水の確保が難しかったという点もあるが、「火事と喧嘩は江戸の花」といわれる江戸において、薪に火をつけ湯を沸かす行為に対する危険性もあったというのが、風呂を持たない理由のようだ。

江戸っ子は銭湯が大好きだったといわれているが、1日に4回も5回も湯に入る人もいたそうで、木製の定期券を持ち、それを所持してせっせと通っていた。江戸風俗研究家の故杉浦日向子さんによると、「江戸のお湯はものすごく熱かった。そういう熱いお湯に日に何度も入るので、江戸っ子は肌が薄くなって、テラテラに光を帯びて、脂気が抜けて、独特の肌合いをしていた」(『杉浦日向子の江戸塾』PHP文庫)とのこと。ここから先は筆者の予測的見解だが、せっせと垢すりもしていたのではないかと思う。「三助」に頼んで背中を流してもらっていたのでは? と。

江戸後期の銭湯は、2階がサロンのようになっており、そこで碁をさしたり、お茶を飲んだりおしゃべりに花を咲かせたりといった楽しみがあった。この頃銭湯は、湯につかるだけではなく、人々の交流の場で文化的な場所でもあったのだ。

では、「三助」がいつから存在していたのか? ということであるが、銭湯の様子を描いた錦絵に登場しているので、江戸時代には存在していたと考えられている。
おじさんの名前のような「三助」という呼び名の由来は諸説あって、奈良時代、光明皇后が庶民に仏教布教のために入浴の場を提供したときに、その手伝いをした三名が「典侍(てんすけ)」と呼ばれていたからという説。江戸時代に越後の国から江戸に上京し、苦労者として銭湯で人気のあった三名「二之助・三之助・六之助」の「助」を取ったからという説などがある(『公衆浴場史』)。三助

銭湯へ行ってみよう

(特に近代以降の)日本の風俗史と関わりの深い存在である銭湯の激減と、そこから生まれた職業「三助」の消滅は、かつて日常的であった“裸の付き合い”を非日常化へと向かわせているような気がする。
日本には温泉が多数あるので、裸の付き合いが消滅することはないだろうが、大多数の人にとって温泉はご褒美的なスペシャルな場所であって、銭湯のような日常ではない。狭いユニットバスやシャワールームは一人で利用するものであり、家族で背中を流しあえるような広い浴室を持つ家は少数派だ。たとえそのような浴室があっても、スイッチひとつでいつでも快適な温度設定ができ、お湯もたっぷり使える状況下で、家族が集まってわざわざ同じ時間に風呂に入る必要もないだろう。三助

ただ、江戸時代から何百年も積み重ねてきたせっかくの銭湯文化を、このまま終わらせるのはもったいない気がする。
「三助」はいなくなってしまったが、たまには、希少な存在となってしまった銭湯に家族や友人と連れだって出かけてみて、背中を流しあったり、髪を洗いあったりしてみてはどうだろうか。一糸まとわぬ生身の人間同士、リラックスしてふれあってみると、あなたの中にある、風呂大好き民族日本人のDNAが喜ぶかもしれない。

(文・黒川豆)


2014/5/13 更新

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