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〈ニッポンのお菓子・京都府〉日本唯一の金平糖専門店「緑寿庵清水」(りょくじゅあんしみず)

創業は弘化4(1847)年から現在まで、金平糖専門店として一子相伝で技を守り続けている「緑寿庵清水」さん。
京都・百万遍の地に初代・清水仙吉が暖簾をあげ、二代目・清水庄太郎が受け継ぎ、三代目・清水勇になったころから少しずつ肉桂、濃茶などの金平糖を作り始めたとのこと。四代目・清水誠一になり、本格的にさまざまな素材を使った金平糖作りに挑戦し、五代目・清水泰博とともに現在は約50種類ほどの金平糖を作り出しています。

金平糖の由来

金平糖は1546年にポルトガルからもたらされた異国の品々のひとつで、中でもひときわ美しく人々の目を引いたお菓子だったそうです。
織田信長も宣教師から贈られ、その形と味にたいそう驚いたという。 当時はとても珍しく、公家や高級武士しか口にすることが出来ない貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密でした。 日本で金平糖が作られる様になったのは、長崎を始め、京都、江戸と広まって、それ以降皆様に親しまれるようになりました。

金平糖はレシピがなく、気温や天候によって蜜の濃度や釜の角度と温度、釜で転がる金平糖の音を聞き状態を見極めて五感を使いながら体で覚えていく一子相伝の技で、砂糖の金平糖が作れるようになるのにもコテ入れ十年、蜜掛け十年、二十年かかると言われています。
さらに砂糖に素材を加えると結晶しないというお菓子作りの常識をくつがえし、一種類十六日から二十日間かけて可能にしました。五十種類を超える金平糖の風味と色彩を熟練の職人が丹精込めて手づくりし、伝統と独自の製法を守り続けてきました。

風味のある金平糖は砂糖の金平糖を作る以上に大変難しいことで、通常は砂糖に素材を加えると酸や油分、塩分が加わることにより固まらないといわれてきました。
そのお菓子作りの常識を覆し、さまざまな素材を用いた金平糖を創り出すことを可能にしました。
しかし、新製品の製作には2年以上もかかります。素材の持つ性質がどのように仕上がるのか、少しだけ試すことができず、作られたことがないことをしている ので、作ってみなければわからない難しさが金平糖にはあります。伝統を守りながら、新しい事に挑戦し、お客様に喜んで頂ける金平糖作りに励み、常に最高の 金平糖を求めて一子相伝の技をこれからも受け継いでいきたいと思います。(文・公式HPより)

緑寿庵清水 金平糖

桃の節句、端午の節句、七夕など歳時に合わせた限定商品は、見ているだけで楽しい。

緑寿庵清水【HP】➡http://www.konpeito.co.jp/index.html


2014/2/25 更新

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