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	<title>地元びいき &#187; スタッフよもやま</title>
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	<description>地元の宝を、未来へ繋げる</description>
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		<title>歩きはじめてみました東海道（その壱）</title>
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		<pubDate>Mon, 26 Dec 2016 10:02:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>
		<category><![CDATA[体験・まなび・旅]]></category>
		<category><![CDATA[東京都]]></category>
		<category><![CDATA[まちあるき]]></category>
		<category><![CDATA[地域資源]]></category>
		<category><![CDATA[街道あるき]]></category>

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		<description><![CDATA[江戸時代、江戸幕府によって全国支配のために江戸と地方を結ぶ街道の整備が行われました。有名なのが五街道。日本橋を起点に伸びている東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つだから五街道。 1601年に徳川家康が整備を [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>江戸時代、江戸幕府によって全国支配のために江戸と地方を結ぶ街道の整備が行われました。有名なのが五街道。日本橋を起点に伸びている東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つだから五街道。<br />
1601年に徳川家康が整備をスタートし、4代将軍家綱の代になってから基幹街道として定められたそうです。<br />
五街道から江戸を出入りするのも厳しい検査があり、また、それぞれの街道には要所要所に関所が設けられていました。参勤交代で江戸と地元を行ったり来たりする大名も、主に五街道を使っています。<br />
現代は、五街道の上から新しい道路がかぶせられたり、五街道の横に大きな道路が作られて旧道としてひっそりしていたりと、姿もそれぞれ変化していますが、重要な幹線道路の基盤として残っています。</p>
<p>地元びいき主催の和田さん含め、品川方面には何かとご縁があり、訪ねるたびに気になっていたのが東海道沿いの品川宿。今でも雰囲気がしっかり宿場町っぽいのです。そしてそこら辺の人たちが言う「品川は江戸じゃないから。江戸から出て東海道の最初の宿場町だから」という、なんとなく誇らしげな様子に、宿場町への異様なあこがれ感のようなものを私は抱きはじめてしまったのです。</p>
<p><strong>道中は日本橋からはじまる</strong></p>
<p style="text-align: justify;">ということで、日本橋に立ちました。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/f9ed94b6e3f645d06137bc12c69a1324.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8863" alt="日本橋" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/f9ed94b6e3f645d06137bc12c69a1324-600x398.jpg" width="600" height="398" /></a>東海道なるものを、歩いてみようかと思ったからです。ちょっとずつですけど。旅の相棒は品川在住のコジさん。東海道の旅といえば、江戸時代後期に十返舎一九が書いた滑稽本（こっけい本＝簡単に言えば笑える本！）「東海道中膝栗毛」が有名。弥次郎兵衛と喜多八のヤジさんキタさんが、厄落としのために伊勢参りに東海道を歩くその道中が、洒落や冗談、いたずら満載ということで人気を博した本です。キタさんは元々ヤジさん馴染みの陰間（江戸時代の男娼）ということもあり、下ネタもちりばめられたりして。</p>
<p>時は平成二十と八年。ハッピーマンデー体育の日前日が、コジさんマメさん、東海道を歩く記念すべきスタート日となりました。<br />
ところがどっこいしょ、その日は朝から雨。急ぐ旅でもないし、雨が止んだら歩こうということになりまして、結局日本橋に立ったのは13:00になってしまい、はて、旅の初日はどこまで歩けるでしょうか……。江戸時代の旅人は、まだ暗いうちに出発したと言われているのに。</p>
<p>サラリーマンを長いこと続けていると、「結論から言え！」と言われまくるものです。社会の一筋に従って結論から言いますと、日本橋から一つ目の宿場、品川宿までしか行けませんでした。<br />
たったの2里です。</p>
<p>イイワケをすると、前述の雨でのスタート遅れ、初日だからペースつかめず。都会だから歩道を歩きますが、現代の道路事情による赤信号足止めの多さ。おしゃべりし過ぎて史跡名所を通り過ぎては戻る。昼飯抜いた私が空腹のあまりコンビニで完全に乾ききったアメリカンドッグを食べる。など、前途を多難にする要因満載。このペースで行くと、61日かかる計算になります。ひゃ！</p>
<p><strong>東海道は重要な道</strong></p>
<p>東海道は1624年に完成。日本橋から京都の三条大橋までの五十三次（約490km）もしくは、延長の京街道の4宿も加えて、五十七次と言われます。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」で五十三次の方が有名にりました。ちなみに「次」というのは、宿駅伝馬制度からこう呼ばれるようになったようです。「宿駅伝馬制度とは、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度です。輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものです。輸送の範囲は原則として隣接する宿場までで、これを越えて運ぶことは禁止されていました。したがって人足と馬もそこで交替することになり、隣の宿場に着くと荷物を新しい馬に積み替えることになります。」（「東海道への誘い」国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所より）</p>
<div id="attachment_8865" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/Nihonbashi.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class="size-medium wp-image-8865" alt="歌川広重「東海道五十三次」日本橋" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/Nihonbashi-600x393.jpg" width="600" height="393" /></a><p class="wp-caption-text">歌川広重「東海道五十三次」日本橋</p></div>
<p>さて、五十三次か五十七次かはおいておいて、江戸幕府にとって東海道は重要な道でした。多くの国をまたぐし距離も長い。何より行きつく先は、天皇が住む京都や天下の台所大阪ですから。<br />
東海道といって思い出す言葉が、「入り鉄砲に出女」。この意味を説明しなさい、とは、よく日本史のテストで定番ですね。復習のために書きますと、「入り鉄砲」とは江戸に入ってくる武器のこと。戦争もなく平和を保っている江戸にとって、争いの元となる武器が入ってくることは危機的なことでした。それから、「出女」とは、読んで字のごとく出ていく女のこと。この女は、大名の奥方たちをあらわしています。江戸幕府では、大名の奥方は、江戸住まいでした。謀反など起こさないようにするための人質ですね。なので、大名は奥さんとは参勤交代で江戸に行ったときしか会えなかったということになります、さみしい。これが江戸末期になると崩れていく制度ですが、それはまた別の機会に。</p>
<p><strong>日本橋→品川宿の見どころ</strong></p>
<p>ただ歩くだけではもったいない。東海道沿いには、江戸時代の名所旧跡もたくさん残っています。今回は、たった2里（約8キロ）の行程ですが、いくつか見どころを紹介したいと思います。</p>
<p>まず、スタートラインの日本橋には、「日本国道路元標（にほんこくどうろげんぴょう）」というものがあります。これは、国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号の起点という意味。国道1号が東海道です。4号は日光街道・奥州街道、17号は中山道、20号が甲州街道と五街道の起点がすべて同じだということがわかります。</p>
<p>日本橋からすぐのところに、高札場があって向かいが晒し場跡。晒し首を置いた場所という意味のここには、江戸時代に処刑された罪人の首を晒しされました。想像するとぞっとしますが、わざわざ人通りの多いところに晒したということがわかりますね。ちなみに、五十三次の終点の三条大橋の河原にも、晒し場跡があります。<br />
少し歩くと京橋。「江戸歌舞伎発祥の碑」があります。歌舞伎といえば東銀座の歌舞伎座あたりのイメージですが、初代中村勘三郎がこのあたりに中村座を開いたのでその記念に建てたようです。そして京橋を渡ると銀座。</p>
<div id="attachment_8859" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/b8dca933dc7ea074d937c34bf2f1a2db.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class="size-medium wp-image-8859" alt="歌舞伎発祥の地" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/b8dca933dc7ea074d937c34bf2f1a2db-600x449.jpg" width="600" height="449" /></a><p class="wp-caption-text">歌舞伎発祥の地</p></div>
<p>休日のしゃれおつなザギン。私たちは、少しでも江戸っぽくしようと、背中には鞄ではなく風呂敷を背負って、足元はスニーカーではなくワラーチ（トレランをする人たちなどが履いていたりする）。これで堂々と歩行者天国を通過したのだから目立ったこと間違いなし。正々堂々銀座を歩き切ると新橋に至り、そこからはしばらくなんだか退屈な大きな国道沿いを歩くことになります。</p>
<p>浜松町を過ぎて、そういえばこの辺りのはずなのに東京タワーが見えないね、などと言いながら田町に近づくと、幕末に江戸城無血開城を果たした、勝海舟と西郷隆盛会見の場所がありました。説明書きに貼ってある江戸時代の地図を見ると、ここから先は海。現在の田町駅は、江戸時代は海の中ということになります。ヤジさんキタさんが歩いていた頃この道は、海をすぐそこに見ながら、潮風など浴びながらの街道だったのですねぇ。平成の私たちは、どちらかというと排気ガスを浴びていました。</p>
<div id="attachment_8868" style="width: 488px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/967046e99a9868f6ba4d5db8e0eb3022.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class=" wp-image-8868 " alt="勝海舟と西郷隆盛会見の場" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/967046e99a9868f6ba4d5db8e0eb3022-597x600.jpg" width="478" height="480" /></a><p class="wp-caption-text">勝海舟と西郷隆盛会見の場</p></div>
<p>田町を過ぎて、右手に御田八幡を見ながら進むと、突然立派な石垣が現れます。大木戸跡というもので、街道上の江戸内外の境界に設置された関所のようなもの。通過する人間や物品を管理することを目的としていました。木戸という扉が江戸市中の町境など防衛・防犯用に設置されていましたが、その大規模なものが大木戸と呼ばれていました。東海道ではここですが、甲州街道沿いでは、現在の四ツ谷に、中山道沿いでは、現在のいた場所に、石垣や扉は残っていませんが、大木戸という地名が残っています。</p>
<div id="attachment_8862" style="width: 490px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/b258ca82ad908b1af31815ed54cfd72b.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class=" wp-image-8862 " alt="大木戸跡" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/b258ca82ad908b1af31815ed54cfd72b-600x449.jpg" width="480" height="359" /></a><p class="wp-caption-text">大木戸跡</p></div>
<p>大木戸跡の少し先に、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭と赤穂浪士の墓所がある泉岳寺がありますが、横道に逸れてしまうので、今回は軽く通過。JRの品川駅を超えて八ツ山という地名から国道1号の大きな道路とはしばしサヨウナラをして旧道に入ります。すると一気に江戸情緒が漂ってくる不思議。</p>
<p>宿場だ！<br />
そんな空気が流れています。日本橋を出発したときの、なんとなくの江戸気分が戻ってきました。江戸当時の東海道の道幅が色でわかるようになっていて、その両脇をさまざまの商店や施設が並んでいます。売っているものもサービスも、もちろん現代のものですが、ここにずっと暮らしてきた方々が、品川宿というものを今でも守っているような、江戸の情景が目に見えてきそうな場所です。</p>
<div id="attachment_8867" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/Shinagawa.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class="size-medium wp-image-8867 " alt="歌川広重「東海道五十三次」品川宿" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/Shinagawa-600x405.jpg" width="600" height="405" /></a><p class="wp-caption-text">歌川広重「東海道五十三次」品川宿</p></div>
<div id="attachment_8866" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/Shinagawa-1.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class="size-medium wp-image-8866" alt="明治中期頃の品川宿入口（中央が旧東海道、手前が現在の国道15号）" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/Shinagawa-1-600x399.jpg" width="600" height="399" /></a><p class="wp-caption-text">明治中期頃の品川宿入口（中央が旧東海道、手前が現在の国道15号）</p></div>
<div id="attachment_8860" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/e195f2bcff9d13ca7b208d880faffb8a.jpg" rel="lightbox[8857]"><img class="size-medium wp-image-8860" alt="現在の旧東海道" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/e195f2bcff9d13ca7b208d880faffb8a-600x449.jpg" width="600" height="449" /></a><p class="wp-caption-text">現在の旧東海道</p></div>
<p>まだまだ歩き足りないくらいで到着した「日本橋から二里」の道標。ここにて、第1日目は終了となりました。</p>
<p>スタートからちんたらちんたら進んでしまったので、万歩計はたいして進まなかっただろうと見てみると、軽く2万歩越え。たった8キロで超健康気分。江戸時代の人は平均して1日20キロくらい歩いたといいますから、そりゃもう、足腰も丈夫だったことでしょう。</p>
<p>次は品川宿からのスタートです。いつ歩けるかわかりませんが、次回は神奈川県を突っ切って4里は行きたいところです。次の予定は12月のクリスマスシーズン。そういえば年が明けてすぐの箱根駅伝は、だいたい東海道を走るコースですね。<br />
では、続きは、また来年ということで。皆さん、よいお年をお迎えください。</p>
<p style="text-align: right;">黒川豆（文・写真）</p>
<p>Special thanks：街道文庫と田中さん、小島香里さん、品川宿の皆さん<br />
街道文庫 田中義巳さんについて（品川経済新聞より）→<a href="http://shinagawa.keizai.biz/headline/1428" target="_blank">http://shinagawa.keizai.biz/headline/1428</a>/</p>
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		<title>江戸じゃない東京の地名からみる歴史</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Sep 2016 10:18:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>
		<category><![CDATA[体験・まなび・旅]]></category>
		<category><![CDATA[東京都]]></category>
		<category><![CDATA[まちづくり]]></category>
		<category><![CDATA[江戸時代]]></category>
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		<description><![CDATA[先日、小川糸さんの小説「蝶々喃々（ちょうちょうなんなん）」を読んだ。江戸散歩のメッカとして大人気の”谷根千”こと台東区谷中・文京区根津・文京区千駄木を舞台とした物語。平成の今になっても江戸情緒やレトロ感満載で実在する喫茶 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>先日、小川糸さんの小説「蝶々喃々（ちょうちょうなんなん）」を読んだ。江戸散歩のメッカとして大人気の”谷根千”こと台東区谷中・文京区根津・文京区千駄木を舞台とした物語。平成の今になっても江戸情緒やレトロ感満載で実在する喫茶店、蕎麦屋、居酒屋、パン屋などが登場して、「行ってみたい！」という気持ちにさせられる興味深い小説だった（即行動しないとすまない派の私は来週末に谷中散歩を企んでいるのだけれども）。</p>
<p>実は私、東京在住22年の、この年齢ではわりかしベテランの東京都民だ。この前の知事選だってちゃんと投票したし、その前も、その前の前も投票した。でも、幾度となく引っ越した土地はすべて市部。よく考えてみたら東京人ではあるけれど、江戸人ではない。この22年間、いわゆる江戸に住んだことがない。人前でえらそうに江戸好きを語っているのに、江戸時代であれば、八百八町の市民権は得ていないということになる。そこで、谷根千と比較すると、てやんでぇ的な江戸時代のにおいがあまりしない自分の足元「江戸でなかった東京」、中でも市部の地名やそこがかつて江戸に対してどんな場所だったのか、調べてみたいと思った。それで今回のスタッフよもやまで書かせていただくことにした。</p>
<h3>なぜ江戸はそんなに狭いのか？</h3>
<p>現東京都のうち、江戸だった場所はそれほど広い範囲でなはい。徳川家康が江戸幕府を開いて以来行政区画の制度はなかったため、拡大を続けていき、幕府の役人でさえ市街地がどこまでかという考えに相違がでてきてしまったらしい。元禄十一（1698）年に榜示杭（ぼうじくい）という杭を立てて、府内（城を中心にした江戸の市街地）と府外を分けて、ようやく江戸の範囲を決定した。その位置を見ると、現在の東京23区外はもちろんだが、新宿駅も渋谷区や目黒区、品川区のほとんども江戸ではない。三鷹市から渋谷区渋谷に通勤している私は、江戸に触れていないことになる。江戸、遠し！</p>
<p>なぜ江戸はそんなに狭いのか？　市街地って広い方が都市として立派じゃありませんかね、と、江戸の狭さが気になった。調べてみると、江戸の範囲は徳川家康の時代から決まっていたとのこと。江戸のおもな交通手段は、徒歩。江戸城から徒歩で１日で往復できる範囲が、江戸ということになるらしい。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/8152d4c714d4c6f2814e3aa58bde452a.jpg" rel="lightbox[8823]"><img class="aligncenter size-thumbnail wp-image-8828" alt="Print" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/8152d4c714d4c6f2814e3aa58bde452a-300x376.jpg" width="300" height="376" /></a></p>
<p>なるほど。だから江戸の中には宿場町がないわけだ。内藤新宿、品川宿、千住宿、板橋宿などは、府外すぐのところに位置する。１日で行動できてしまう範囲の街、それが江戸がコンパクトである所以だということがわかった。</p>
<h3>江戸ではない東京は府外と武蔵国（むさしのくに）</h3>
<p>江戸ではない東京は、江戸時代は府外と神奈川県や埼玉県の一部と一緒の武蔵国だった。明治に入り府外はすんなり東京府に組み込まれたが、市部が東京府になったのは、明治26年になってから。まず明治9年に区画整理され武蔵国は13大区に分けられたが、8〜13大区に現在の東京の市部にあたる部分が含まれていた。それらを26年に東京府に移管した。</p>
<p>江戸がそれだけ狭いのだから、府外や武蔵国は江戸と関わりがあったにちがいない。そう踏んで、いくつかの市部をその地名をカギに見てみることにする。</p>
<h3>吉祥寺（武蔵野市）には吉祥寺がない</h3>
<p>手前味噌で、私が慣れ親しんだ多摩東部を見てみる。私は現在三鷹市に住んでいるが、武蔵野市に突き出た半島みたいな地区に住んでいるので、武蔵野市の吉祥寺で消費活動を行っている。きちじょうじの「じ」は寺。でも吉祥寺には吉祥寺というお寺はない。この地名は、江戸と深いつながりがあった（前回のスタッフよもやまでも少し触れさせていただいたが）。</p>
<p>江戸の本郷にあった吉祥寺という寺の門前町の住民が振袖火事と呼ばれる明暦の大火（1657年）で家を失い、武蔵野に引っ越してきて開拓した。当時ススキ野原が広がった武蔵野を切り開いて村を作った人々が江戸で親しんだ吉祥寺という名前をつけたという。</p>
<p>吉祥寺の駅からすぐのところに御殿山という地名がある。ここは、徳川三代将軍の家光が鷹狩りをする際に、仮の御殿を建てた場所だからそう呼ばれた。鷹狩りをするくらいの原野だったということがわかる。ちなみに、井の頭公園がある井の頭（三鷹市）という地名は、この鷹狩りに来ていた家光が、神田上水の水源となっているここにある池を、井戸の水源であるので「井の頭」と呼んだことがはじまりという。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/52bd5e2d468622132fe31aa2c190bcb6.jpg" rel="lightbox[8823]"><img class="aligncenter size-thumbnail wp-image-8825" alt="現在の井の頭池" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/52bd5e2d468622132fe31aa2c190bcb6-300x400.jpg" width="300" height="400" /></a></p>
<h3>三鷹（三鷹市）の鷹は鷹狩りの鷹</h3>
<p>三鷹市の地名の由来は諸説あるが、江戸に関わるものとしては、江戸幕府の将軍や御三家が鷹狩りをした鷹場が多く集まっているからという説が面白い。御三家の鷹狩りの場所で三鷹。ふむふむ、しゃれっぽくて好き。</p>
<p>三鷹市には「連雀（れんじゃく）」という地名がある。現在は上連雀と下連雀に分かれていて、市内でもかなりの面積を有する。れんじゃくは「連尺」のことで、旅籠などを背負う際の背負子をそう呼んだとか。その連尺職人は江戸時代は神田連雀町に多く集まって住んでいたが、これまた吉祥寺とおなじパターンで、明暦の大火で家を失い、ここに移住してきたことでついた地名だとか。明暦の大火がどれほど破壊的なものであったかがわかる。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/2d85275c54582ef036dde1e6091fb724.jpg" rel="lightbox[8823]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8827" alt="三鷹" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/2d85275c54582ef036dde1e6091fb724-600x397.jpg" width="600" height="397" /></a></p>
<h3>江戸の住民を支えた武蔵野</h3>
<p>武蔵野市と三鷹市に次いで他の市の地名の由来を調べていたら、江戸に関係するんじゃないかという私の目論見を大きく外れていた。わたしの目論見は、この2つの市で終わってしまった。つまり、東京の市部で、江戸と深い関わりがあるのは、いわゆる武蔵野と呼ばれた土地だけ。急激に発展した江戸の人口は増え続けたが、人々の生活物資をまかなう生産力はなかった。そこで江戸東部近郊の村から、畑の野菜やエネルギーとなる薪などが提供された。それから飲み水も、玉川上水や神田上水から引いて、確保したという。</p>
<p>市部ではないが府外のことについても述べなければ。江戸八百八町に入っていないが、現在の23区になっている土地とほぼ一致するのが、府外（練馬などの例外もあるが）。前述の明暦の大火で、焼けてしまった江戸の街の復興に、多くの職人や人足が働きにやってきた。しかし、彼らが住む場所が、あの狭い江戸にはない。そこで、府外の、現在の目黒や渋谷、新宿に暮らして、江戸で働いたそうだ。そんなことで人口も増えて、武蔵野の役割が大きくなったと言われている。</p>
<h3>江戸時代なんてもんじゃない古い地名の東京市部</h3>
<p>さてさて、武蔵野以外の東京の市部は、江戸に関わる地名ではなかったと書いたけれども、これがとても古い歴史に関係している、江戸時代なんてもんじゃなかった。とても興味深いので、ここは、えいやーと、いくつかを紹介してしまいたい。</p>
<p><strong>・調布（ちょうふ）市</strong><br />
読んで字のごとく調の布。この調は、日本史で習った大化の改新以後の古代の租税制度の「租庸調」の調のこと？　ーー正解。租＝米、庸＝労役、調＝繊維製品であり、この調の布で調布。調としておさめる布を生産していたところ。過去に９年も調布市に住んでいたのに、こんなことも知らなかった。ここで気になるは、田園調布。現在は世田谷区の高級住宅街だが。なんとなんと、ここも明治時代までは、調布の一部。かつては調布村だったらしい。大正時代に、渋沢栄一らが設立した田園都市株式会社が、この場所一体を住宅地として開発し、イギリスを手本にした駅舎を中心に洋風の街を作っていったので、調布の田園都市ということで、田園調布となったとのこと。</p>
<p><strong>・狛江（こまえ）市</strong><br />
こちらも古代が地名のルーツ。狛江の狛は「高麗」、つまり朝鮮半島のこと。古代に朝鮮半島からの渡来人が多く住み着いた入江（多摩川が流れているから）ということで狛江となった。文字からして、勝手に狛犬な感じと思っていました、大違い。</p>
<p><strong>・府中（ふちゅう）市</strong><br />
ここも古い。もう文字を見て古いとわかってしまった。武蔵国は大化の改新後に誕生した国であるが、その武蔵国の国府が置かれたのがここ。市内にある大国魂神社の敷地にあたるところに、国庁の施設などがあって、現在は発掘をされているので跡地を見ることができる。</p>
<p><strong>・国分寺（こくぶんじ）市</strong><br />
「国分」（こくぶん・こくぶん）という地名は東京都だけではなく、日本各地に存在する。それは、奈良時代に聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺の建立を命じたからだ。武蔵国の国分寺があった場所が現在の国分寺市ということだ。</p>
<p><strong>やっぱり地名は面白い</strong></p>
<p>江戸幕府の将軍は、郊外の村で鷹狩りというレクリエーションを楽しんだとか、江戸の現場で働く人足や職人が府外に住んで江戸に通ったとか、江戸の消費生活を郊外で栽培される野菜が支えたとか、江戸時代の”都市郊外のあり方”が、今と同じというところが興味深い。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/3cb7117b16d810615cf58c1c2b2fa2bf.jpg" rel="lightbox[8823]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8826" alt="江戸の町人" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/3cb7117b16d810615cf58c1c2b2fa2bf-600x397.jpg" width="600" height="397" /></a></p>
<p>それらが現在残っている地名から見えてくるところが、すっかり面白いと思ってしまった。江戸と言いながら古代までさかのぼってしまったが、地名から読む歴史はもっとずっと深く、このままハマりそうなので、またどこかのタイミングで綴らせていただこうと思う。</p>
<p>皆さんも、自分が住む土地の地名を調べてみてはどうだろう。単なる文字ではなく、空間的な広がりをもった何かが見えてくるかもしれない。（写真・文　黒川豆）</p>
<p>参考文献：<br />
「江戸東京歴史散歩3　山手・武蔵野編」　江戸東京散策倶楽部（学研）<br />
「多摩　歴史と文化の散歩道」（TOKIMEKIパブリッシング）<br />
「江戸・東京の地理と地名」　鈴木理生（日本実業出版社）<br />
「まるごと一冊！　東京の地名の由来」　浅井建爾監修（自由国民社）</p>
]]></content:encoded>
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		<title>【募ってます！】「地元びいき」なコトを発信したい、創りたいをヒトへ</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Aug 2016 11:30:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>

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		<description><![CDATA[地元びいきをどんどん活用しちゃってください！ この3年間変わることなく「地元に根ざした情報が交流する場」づくりを大事にサイト運営を行っています。 地元にまつわるコト（イベント、人、お店、特産品など）や話題のムーブメントな [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h3 style="text-align: left;">地元びいきをどんどん活用しちゃってください！</h3>
<p>この3年間変わることなく「地元に根ざした情報が交流する場<wbr />」づくりを大事にサイト運営を行っています。<br />
地元にまつわるコト（イベント、人、お店、特産品など）や話題のムーブメントなど、もっと多くの方に地元のことを「知ってもらいたい！」、溢れる地元愛を「行動に移したい！」と熱く想っているヒトびとを随時募集しています。<br />
文章の上手下手は全く無関係！と<wbr />にかく地元ネタを発信したい、ブログとかやりたいけど拡<wbr />散大変だし、、、など、地元で小さなアクションをスタートしたい方は地元びいきを活用してみませんか。</p>
<p style="text-align: center;"><strong>地元（故郷）で何かやりたい、何かに関わりたいという想いがあっても、</strong></p>
<p style="text-align: center;"><strong>それを一人で形にしていくのはなかなか難しい…</strong></p>
<p style="text-align: center;"><strong>情報共有、交換をできる器が「地元びいき」です！</strong></p>
<h3 style="text-align: left;"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/2e503bc904d5702d0877a64ea513d07f.jpg" rel="lightbox[4037]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4043" alt="地元びいき" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/2e503bc904d5702d0877a64ea513d07f-600x222.jpg" width="600" height="222" /></a></h3>
<h3>  ☆「地元びいき」が持っている発信のカタチ</h3>
<p>現在、4つのフィールドで記事を掲載しています。<br />
皆さんからいただいた情報内容をもとに、どのフィールドでどういった視点で紹介するかを決め、掲載の段取りを立てて行きます。</p>
<p><strong>①しっかり紹介記事（週1本ほど）</strong><br />
地元の根ざした取組、活動、産業、お祭り、文化・歴史、伝統などみんなに知ってもらいたい地元のコトを紹介</p>
<p><strong>②スタッフよもやま（月に2〜3本ほど） </strong><a href="http://jimoto-b.com/category/staff" target="_blank">http://jimoto-b.com/category/staff</a><br />
地元発掘隊メンバーおのおのが抱く想いや、気になることを紹介（オリジナル性が高い記事）<br />
ex）「<a href="http://jimoto-b.com/2327" target="_blank">3分でわかる！今、話題のふるさと納税ってどんな制度？</a>」「<a href="http://jimoto-b.com/?s=%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%80%8C%E9%AF%96%E6%B1%9F%E3%80%8D%E3%82%92%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%81%A6" target="_blank">ものづくりのまち「鯖江」を訪れて</a>」「<a href="http://jimoto-b.com/1091" target="_blank">新酒「shangri-la」にみる、秋田若手蔵元5人「NEXT5」が起した革命とは?!</a>」</p>
<p><strong>③「地元びいき」主催のイベント情報 </strong><a href="http://jimoto-b.com/category/event" target="_blank">http://jimoto-b.com/category/event</a></p>
<p><strong>④ピックアップニュース（日に3本ほど）</strong><a href="http://jimoto-b.com/category/news" target="_blank">http://jimoto-b.com/category/news</a><br />
地域のお祭り・イベント、オモシロ・あるある、<a href="http://jimoto-b.com/?s=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B0%91%E8%A9%B1" target="_blank">日本の民話シリーズ</a>など、ちょっと気になる情報たちの集まり。<br />
決して「最新情報」という括りではありません。</p>
<p><strong>⑤</strong>不定期だけど<strong>編集会議＜地元発掘隊の<wbr />タマリバ＞</strong>も開催してます！<br />
現在は東京開催ですが、skypeでの参加もOKです。<br />
緩やかに地元の情報交換したり、最近気になっているコト<wbr />などをわいわいと話ながら、どんな情報を取り上げようか<wbr />、どんなことに興味があるかなどなど、地元びいきで取り<wbr />上げてみたいコトをざっくばらんに話す場となっています<wbr />ので、お気軽にふらっと来ていただけると本当に嬉しいで<wbr />す！</p>
<p>https://www.facebook.com/groups/jimoto.b/</p>
<p><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/cb21c53e01edf9fb25f6ab527a681e99.jpg" rel="lightbox[4037]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-4042" alt="地元びいき" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/cb21c53e01edf9fb25f6ab527a681e99-600x450.jpg" width="600" height="450" /></a></p>
<h3>☆繋がりたいコト（情報）とヒト（仲間）</h3>
<p><strong>〈募ってます　#1<strong>〉</strong></strong><br />
①〜④の情報提供を提供してくれる地元愛に満ち溢れた「<strong><span style="color: #ff6600;">地元発掘隊</span></strong>」（居住地域でも、全国でも可）を募集しています。<br />
これはライターという職業の募集ではありません。「地元発掘隊」は肩書きではなく、地元のちょっとした「デキゴト、<wbr />習慣、風習、こだわり」みたいなことを教えてくれる人です。メールやSkype、SNSを活用してやりとりをしましょう！</p>
<p><span style="color: #339966;">ちょっとした決めゴト</span>：<br />
地元を含め周辺地域のことや、皆さんが普段より興味持たれていることなどの情報を提供ください。そうしていただくことで掲載の機会も増え、また皆さんの縁脈も広がります。そこからさらに「地元びいき」と一緒に何かを創れたら嬉しいですね。ただし、一つの地域情報ばかりを多数紹介することはできませんので、その点はご了承ください。</p>
<p><span style="color: #339966;">進め方</span>：<br />
メールで紹介したい情報をお知らせください。<br />
⬇<br />
情報の内容と掲載するフィールドを検討し返答します。<br />
⬇<br />
掲載が決った情報について、段取りを決めて、原稿を書いていただきます！<br />
<span style="color: #333399;">※文章を書くのが得意ではない方でもアシストしますので、大丈夫です。</span><br />
⬇<br />
運営側とともに内容確認、校正を行い仕上げていきます。<br />
⬇<br />
サイト公開</p>
<div id="attachment_4044" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/sticker.jpg" rel="lightbox[4037]"><img class="size-medium wp-image-4044" alt="地元びいき　sticker" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/sticker-600x416.jpg" width="600" height="416" /></a><p class="wp-caption-text">地元「び」いきステッカーです！</p></div>
<p style="text-align: left;"><span style="color: #008000;">御礼として</span>：<br />
サイト内で皆さんのプロフィールをご紹介（ご希望があれば）<br />
地元びいきステッカーを差し上げます！</p>
<p><strong>〈募ってます　#2</strong><strong>〉</strong><br />
<strong><span style="color: #ff6600;">サイト運営</span></strong>を手伝ってくれる方（東京在住）<br />
地域の小さい経済を応援したい、コミュニティづくりに興味がある、日本の伝統・文化が好き、など日本にある資源を発掘して磨いていきたい方、是非とも共創する仲間になってください。<br />
取材のお手伝い、ライターさんとのやりとり、コンテンツ企画やイベント企画などを一緒に考えたりしてくれたら嬉しさ100倍です！<br />
週1、2回（数時間）程度。無給となりますが、交通費は支給します。</p>
<h3>☆お問い合わせ</h3>
<p>ご質問＆お問い合わせ先につきましては、<a href="http://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fjimoto-b.com%2Fcontact&amp;h=6AQFaTY_0&amp;s=1" target="_blank" rel="nofollow nofollow">http://jimoto-b.com/contact</a> からお願いします！<br />
どうぞ、お気軽にご連絡ください。（<span style="color: #0000ff;"><a href="http://jimoto-b.com/outline" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">地元びいき　和田富士子</span></a></span>）</p>
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		<title>日本から消えてしまった意味ある地名</title>
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		<pubDate>Mon, 30 May 2016 09:27:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>

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		<description><![CDATA[誰でもそれぞれの地元を持っています。地元びいきの仕事に関わらせていただいてから、日本各地の地元について書いてきましたが、今回は私の地元について、少しネタにしてみようと思います。あ、名乗り遅れました、黒川豆と申します。黒川 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>誰でもそれぞれの地元を持っています。地元びいきの仕事に関わらせていただいてから、日本各地の地元について書いてきましたが、今回は私の地元について、少しネタにしてみようと思います。あ、名乗り遅れました、黒川豆と申します。黒川というのは、私の生まれ育った村の地名でありまして、ペンネームにちょいと使わせていただいています。なぜ黒川という名前で執筆活動をしているかというと、地元びいきなわけです。実は、市町村合併により黒川村という地名はなくなってしまいました。黒川という地元の名前を気に入っていたので、もったいない！　と思って勝手に拝借している次第です。<br />
平成の大合併によって、日本の市町村数は約半分となったと言われています。地元の名前がなくなった日本人が相当数いるということになります。私のようにもったいないと思った人もいることでしょう。そこで今回はいくつかの地名の由来について、考えてみようと思います。まずは「黒川」について。</p>
<h3> さかのぼること「日本書紀」</h3>
<p>新潟県の北部、下越地方に胎内（たいない）市という人口3万人ほどのところがあり、ここが旧黒川村。2005年に中条（なかじょう）町と黒川村が合併して、胎内市となりました。胎内市の地名の由来にはひとまず置いておいて、両自治体に胎内川が流れているのでその名前をとって胎内市となったとのこと。<br />
平成の大合併では、日本各地で市町村合併がありましたが、地名問題は悩みどころだったようで、中心となる大きな自治体の地名を取ることもありますが、だいたいは、新しい地名をつけましたね。ひらがなが増えたことと、ついにカタカナ名まで出てニュースになったりしていました。</p>
<p>「黒川村」に戻ります。黒川の塩谷（しおだに）という地区は山の中に油が溜まった池のようなもの（油壷）がいくつもあります。何やらそこは、日本最古の原油湧出地だそうで、太古の昔から現代まで原油が湧き続けています。「日本書紀」には、天智天皇の７（668）年に、「越国、燃ゆる土燃ゆる水を献ず」と記述されています。この燃える水は臭水（くそうず）と呼ばれていた原油で（臭かったんでしょうねぇ）、天皇に献上したことが記されていました。古くから黒い原油が流れていたことから黒川という地名がついたそうです。尚、中世になってこの地域を支配していた和田氏も、黒々とした燃える水が流れる川から姓を改めて黒川にした、と伝えられています。「黒川の臭水」は、平成4年に新潟県指定天然記念物となりました。</p>
<div id="attachment_8761" style="width: 522px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/92abc30bc72b45b9bdcb16cc911cff44.jpg" rel="lightbox[8757]"><img class="size-full wp-image-8761" alt="黒川の臭水の油壷（胎内観光情報ブログより）" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/92abc30bc72b45b9bdcb16cc911cff44.jpg" width="512" height="384" /></a><p class="wp-caption-text">黒川の臭水の油壷（胎内観光情報ブログより）</p></div>
<p>あらためて自分のふるさとの地名を考えてみて、地名からその土地の歴史を知ることができ、軽い興奮とともに、” 地名というものは、大変興味深い”と再認識することができました。<br />
あ、そうそう胎内川ですが、夏になると川の水が枯れて地下水になって流れるところが母親の胎内に似ているからという説を聞いたことがあります。しかしそれは後で当てはめたストーリーのようで、元はアイヌ語から来ているとのこと。ナイは「川」、タイは「森」、森を流れる清い川という意味でそう呼ばれたというのが有力な説でした。新潟でなぜアイヌ語？　というところは、また別のテーマで調べてみようと思いますので、今回はご勘弁を。</p>
<h3>1Dayトリップで見る消えた地名</h3>
<p>ゴールデンウィークに、現在の地元吉祥寺（東京都三鷹市）から黒川（新潟県胎内市）まで、各駅停車の旅をしました。電車の乗り換えは6回、かかった時間は8時間、通った県は4（東京、埼玉、群馬、新潟）、止まった駅は数知れず……。<br />
いつもの帰省では、上越新幹線を使います。停車しない駅があったり、長いトンネルがあったり、リクライニングシート快適すぎて居眠りをしたりで、窓の外の地名を見ることなどほとんどありません。今回、各駅停車でガタガタゴトゴト進んだことで、車窓から景色と共に様々な駅名を目にしました。しかし、駅名が必ずしも現存する地名ではないこともあるようで……。日本全国でなくなってしまった地名は相当数あるので、この度は、勝手ながら私の帰省ルートの中に限定して綴らせていただきます。</p>
<p><strong>「JR中央線」</strong><br />
●吉祥寺　きちじょうじ（東京都三鷹市）<br />
地名はなくなっていませんが、「吉祥寺」というお寺はありません。吉祥寺というお寺は、江戸時代初期、文京区水道橋付近にありました。1657年の明暦の大火で寺は全焼し現在の文京区駒込に移されました。吉祥寺の門前に住んでいた住民たちは家を焼かれたため、武蔵野の原野に移り住み、開拓して村を作ったそうです。それで、武蔵野に「吉祥寺」という地名が残りました。1664年の家数は64件。” 東京で住みたい町No.1”などと言われる街も、農民の開拓の歴史を残す地名だったのですね。<br />
●淀橋　よどばし（東京都新宿区）<br />
新宿に本拠を構える大型家電量販店「ヨドバシカメラ」はなぜその名前？　ルーツをたどると、新宿区淀橋に設立された淀橋写真商会が出てきました。1947年に新宿区が誕生する前は、その辺りは淀橋区でした。新宿区となってから、都市化が進み、ビルが立ち並び、1970年に淀橋は西新宿という何となく記号的で味のない地名にとって代わられ、消滅してしまいました。「淀橋」という地名はなくなりましたが、ヨドバシという音は、抜群の知名度を誇っています。</p>
<p style="text-align: left;"><strong>「JR高崎線」</strong><br />
●群馬町　ぐんままち　（群馬県高崎市）<br />
群馬県群馬郡群馬町というトリプル地名だったそうで。思い出すのが、鹿児島県志布志市志布志町志布志。志布志市志布志町志布志は健在ですが、群馬県群馬郡群馬町は平成の大合併で高崎市に吸収されてしまいました。「群馬」といえば県名であって、高崎市群馬⚪︎⚪︎町となると違和感があると考えられたらしく、市の後に群馬とつく地名は消滅しました。早口言葉のような地名がなくなってしまって、少々残念です。<br />
●月夜野町　つきよのまち　（群馬県みなかみ町）<br />
昔ニュージーランドに滞在していた際、最初にホームステイした家の住所が、moon shine valley road でした。なんて美しい地名だろうと感動し、未だに覚えています（それから何度か引っ越しましたが、この地名だけ忘れていません）。直訳すると「月が輝く谷の道」となるでしょうか。群馬県の「月夜野」という地名を見たときも、同じ感動を覚えました。平安時代の歌人源順（みなもとのしたごう）がこの地を訪れ、三峰山から昇る月を見て「よき月よのかな」と歌を詠んだと伝えられ、それが月夜野の地名の由来だそうです。これは伝承ですが、それだけ美しい光景が見られる土地だったのでしょう。2005年に月夜野町、水上町、新治町が合併して「みなかみ町」となり、「月夜野」はなくなってしまいました。本当に美しい地名なので、心から残念に思います。moon shine valley roadはまだ現存しているかしら。<br />
●水上町　みなかみまち　（群馬県みなかみ町）<br />
前述の合併によって、「みなかみ町」となり、昔からあった「水上」という地名の由来もわからなくなってしまいました。水上は利根川の水源を意味するものだそうですが、「みなかみ」というひらがなでは何も解読できないですね。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/f35aa3a1d6ddbb76cf908bc1fd9b6b13.jpg" rel="lightbox[8757]"><img class="aligncenter  wp-image-8759" alt="JR水上駅" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/f35aa3a1d6ddbb76cf908bc1fd9b6b13-600x450.jpg" width="480" height="360" /></a></p>
<p><strong>「JR上越線」</strong><br />
●高田市　たかだし　（新潟県上越市）<br />
戦国武将上杉謙信で有名な春日山城の南に築かれた高田城は、京都に真似て作ったという大きな城下町を持っています。江戸時代は北国街道の宿場町として栄えた商業都市でした。明治40（1907）年にオーストリア人のレルヒ大佐が１年あまり滞在し、日本にスキーを伝えたスキー発祥の地としても有名です。ちなみに、レルヒ大佐は、現在、新潟県を代表するゆるキャラとして、県内外の人に愛されています。新潟市・長岡市に次いで新潟県で3番目に市に昇格した「高田市」ですが、1971年に「上越市」が誕生することで消滅してしまいました。調べて面白いと思ったのが、全国に多く存在する「高田」の地名。全国各地の「高田町」が市政施行によって市に昇格する際、新潟県高田市と同じ地名を避けるため「陸前高田」（岩手県）、「豊後高田市」（大分県）、「大和高田市」（奈良県）とわざわざ冠をつけたそうです。ところが冠なしのピュア「高田市」がなくなってしまったという、なんとなく寂しい現実がありました。</p>
<div id="attachment_8760" style="width: 210px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/57a9fd4fa3f86cf0f928e0da4c4b3de3.jpg" rel="lightbox[8757]"><img class="size-full wp-image-8760" alt="高田に滞在したレルヒ大佐（新潟観光NAVIより）" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/57a9fd4fa3f86cf0f928e0da4c4b3de3.jpg" width="200" height="363" /></a><p class="wp-caption-text">高田に滞在したレルヒ大佐（新潟観光NAVIより）</p></div>
<p style="text-align: left;"><strong>地名の意味や歴史を探るヒントは駅<br />
</strong>みなさんの地元の最寄りの駅名は、地名と一致しますか？<strong><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/931f1c499be4e0ca9b0d5bef5c92dd2c.jpg" rel="lightbox[8757]"><img class="aligncenter  wp-image-8762" alt="地名の歴史は駅名にヒントあり" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/931f1c499be4e0ca9b0d5bef5c92dd2c-600x450.jpg" width="420" height="315" /></a></strong></p>
<p>今回の各駅停車ガタガタゴトゴト旅で、旧地名、その土地の歴史を語ってくれる地名は、駅名に隠されているということに気がつきました。市町村合併で行政上、そして地図上の地名は変えても、駅名までは及んでいないからです。今回は、たった１日の旅で自分が気になった地名だけについて書きましたが、地名は、深い、とにかく深すぎる！　なので、少しでもおっ？　と興味を持たれた方は、ぜひ自分の気になる土地の地名について調べてみてください。参考資料もご紹介しておきます。どれも手に取ったら背中を丸めて読みふけってしまうくらい面白かったです。<br />
旧地名に魅了された私はこれからも、黒川豆というペンネームで仕事をしようと固く決心しました。（文・写真　黒川豆）</p>
<p>（参考資料）<br />
「地図から消えた地名」　今尾恵介（東京堂出版）<br />
「日本の地名」　浅井建爾（日本実業出版社）<br />
「日本人として知っておきたい地名の話」　北嶋廣敏（毎日新聞出版）<br />
「こうして新地名は誕生した！　」　楠原佑介（KKベストセラーズ）<br />
「地名の魅力」　谷川彰英（白水社）<br />
「47都道府県・地名由来百科」　谷川彰英（丸善出版）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>日本人と蕎麦考</title>
		<link>http://jimoto-b.com/8725</link>
		<comments>http://jimoto-b.com/8725#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 03 Mar 2016 11:31:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>

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		<description><![CDATA[１か月ほど前に引っ越しました黒川豆です。引っ越しは準備も当日も、そして引っ越してからも住所変更やら何やらと落ち着かないもので、ようやく平穏な暮らしを取り戻したところであります。 引っ越し当日は、なんとなく「引っ越し蕎麦を [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>１か月ほど前に引っ越しました黒川豆です。引っ越しは準備も当日も、そして引っ越してからも住所変更やら何やらと落ち着かないもので、ようやく平穏な暮らしを取り戻したところであります。</p>
<p>引っ越し当日は、なんとなく「引っ越し蕎麦を食べないといけない」という気持ちにかられ、東京も雪が降るのでは？　と言われた寒い日でもありましたし、温かい蕎麦を求めて新しい街をストレンジャーよろしくさまよい、結局コンビニでカップ麺の蕎麦を食べて引っ越し蕎麦としました。よしよし、これでよいのだ、引っ越し完了！　と、ほっと一息ついたところで、考えました。</p>
<p>「そもそも、なぜ引っ越したら引っ越し蕎麦を食べるのだろう？」<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/72289f76709c6ecd13205c63a24d437e.jpg" rel="lightbox[8725]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8731" alt="てんぷらそば" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/72289f76709c6ecd13205c63a24d437e-600x450.jpg" width="600" height="450" /></a></p>
<p>家族や友人知人に聞き取りをしてみたところ、ほぼ全員が「年越し蕎麦みたいなもので、縁起がいいからじゃない？　」と答えます。ふむふむ、それは言えている。年越し蕎麦は、細くて長いから寿命が延びるのを願って食べる、蕎麦は麺類の中では切れやすいこともあって、災いや厄などの悪いものを断ち切るという意味を込めて食べる、また、細長いので「末長くよろしく」などという意味を込めて食べると言われているからです。</p>
<p>つまり、こういうこと？　引っ越してきた日に、新しい土地の神様かそのような何かに「末長くよろしくお願いします」という気持ちを込めて食べるということ。ならば、納得。</p>
<p><strong>引っ越し蕎麦は自分が食べるものではない！？</strong></p>
<p>と、勝手な納得で済ませてしまっては調査の意味がないので、インターネットや書物で引っ越し蕎麦について少し調べてみました。そしたら自分的には衝撃の事実が……。</p>
<p>”引っ越し蕎麦は自分が食べるものではない”らしい。なぬ！？　引っ越し蕎麦というものは、引っ越してきた人がご近所に挨拶がてら配るものであるという日本人の習慣のこととのこと。私はまったく間違えて、自分だけが蕎麦をずるずる食べていました。お恥ずかしい。</p>
<p>では、このご近所に蕎麦を配る習慣はいつからはじまったのでしょうか――。こちらは、予想どおり、江戸時代からでした。蕎麦といえば、江戸っ子よぉ、ということで。<br />
江戸時代には、引っ越してくると、これからよろしくお願いしますというご挨拶として、蕎麦を家主と向こう三軒両隣に配ったそうです。江戸時代の庶民の暮らしといえば、長屋暮らしが普通で、井戸や厠、洗い場などを共同で使っていたこともあり、ご近所とうまくやっていくことは必須だったわけです。</p>
<p>現在は、引っ越しのご挨拶として、一番人気は洗剤だそうで、確かにもらって困る人もいなければ、買う側としても大した予算は必要なく、最適なプチギフトというわけです。<br />
私といえば、ご近所への挨拶もすっかりサボってしまい、もう１か月。今から蕎麦を配るのもなんとなく時流に乗り遅れた人のようで、江戸流儀で引っ越し蕎麦を配るのは、また次回、数年後でしょうか、引っ越す時にしようと思います。</p>
<p><strong>江戸の庶民が蕎麦をふるまったのは洒落</strong></p>
<p>江戸時代の庶民が、なぜ引っ越しに他のものではなく蕎麦を配ったのか、気になるところです。<br />
最初は、小豆粥を配っていたそうです。ところが、小豆は決して安いものではなく、庶民にとっては贅沢品。それを向こう三軒両隣、つまり五軒分ともなると結構な金銭的負担だったようで、それで代用として蕎麦になったとのこと。<br />
蕎麦は安価でかつ江戸の庶民の好物だったから、もらって喜ばない人もいない、絶好の贈り物になったのです。<br />
それから、「近所＝そば」に引っ越してきたということを「蕎麦」で表現して、ダジャレもあるという説も。私は個人的にこの洒落がとても気に入りました。江戸っ子はやっぱり、粋だなぁ、と。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/azuki.jpg" rel="lightbox[8725]"><img class="aligncenter  wp-image-8733" alt="azuki" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/azuki.jpg" width="417" height="312" /></a></p>
<p><strong>蕎麦を食べる日</strong></p>
<p>さて、引っ越し蕎麦と年越し蕎麦は有名ですが、それ以外にも蕎麦を食べる日というのはあるのでしょうか。気になったので少し調べてみました。<br />
まず年越し蕎麦ではなく、年が明けて正月に蕎麦を食べる習慣の地域があります。<br />
福島県の会津地方は、「祝い蕎麦」と言って、元旦に新年の祝いの意味で蕎麦を食べる習慣があったそうです。また、お隣の新潟県では、1月14日に蕎麦を食べる習慣がありました。1月15日が小正月で、その前日、つまり小正月の晦日である日に蕎麦を食べるという、いわゆる年越し蕎麦と思われる習慣です。</p>
<p>節分に蕎麦を食べる地域もあります。これも1月14日の蕎麦と意味は同じで、風水では、立春から新年がはじまると考えていました。新年の前日が節分、だから節分に蕎麦を食べていたそうですが、こちらもつまりは年越し蕎麦ということですね。</p>
<p>タイムリーなのが「雛（ひな）蕎麦」と言われ、江戸時代には桃の節句の雛祭りに蕎麦が食べられていたという習慣もありました。雛祭りといえば、菱餅を食べたり、白酒を飲んだりということは有名ですが、蕎麦を食べていたというのは初耳。「雛蕎麦」は3月3日ではなく、4日に食べていたとのこと。この意味を調べてみると、雛祭りが終わると雛人形を片付けますが、ひな人形とのまた1年のお別れと、この先1年が永く幸せであることを祈って、家族で蕎麦を食べたと言われています。</p>
<div id="attachment_8730" style="width: 490px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/72e7b356a15fad576b630995eb0104f0.jpg" rel="lightbox[8725]"><img class=" wp-image-8730 " alt="そばばたけ" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/72e7b356a15fad576b630995eb0104f0-600x450.jpg" width="480" height="360" /></a><p class="wp-caption-text">そばばたけ</p></div>
<p>あるかな？　と思って調べると、やはり5月5日の端午の節句にも蕎麦を食べていたようですよ。ただし、ここは翌日ではなくその日でした。男の子の場合は、人形をしまわないと婿にいけないなどという問題がなく何かを片付けるということを特にしなくていいからでしょうか。これについての事実はわかりませんでした。</p>
<p>そのほか、日本全国、特に東日本では、何かにつけて蕎麦を食べていました。以前「庚申塔」についてご紹介した記事に、猿田彦という神様を祀る日には一晩中寝ないで徹夜をしていたということを書きましたが、その日には夜食として蕎麦を食べる習慣があったそうです。</p>
<p>面白いと思ったのが「早乙女振る舞い」という蕎麦を食べる行事。これは新潟県と青森県で行われていたもので、秋の収穫が終わると、娘たちが蕎麦を打って、若い男性にふるまうというもの。男性たちは、お酒を持参して、若い男女が一緒に「夜酒盛り」をしたそうです。これは、現在でいうところの、合コンのようなもので、男女の出会いの場となっていたものです。そのようなエキサイティングな出会いにも、蕎麦が重要な役割を担っていたのです。</p>
<p>引っ越しからはじまって考えた、日本人にとっての蕎麦ですが、1年の節目、人生の節目、そういった大事な場面で食されてきたことがよくわかりました。「細く永く」これが日本人のソウルに大事なものであるのだなぁと。<br />
太くドーンと一瞬華やぐ、ということよりも、日常そして人生は、「細々としていても小さな幸せがずっと永く続きますように」ということを願う国民性なのだと思いました。<br />
そういえば、私が小学生のころ、学校の総合活動という授業では、全校で畑仕事をしていました。そこで蕎麦も栽培していて、収穫すると、老人会の人たちの指導のものと、みんなで石臼を引いてそば粉にして、それを一生懸命打って、給食で食べることがありました。あの日も、あれから何十年経っても私にとっては特別な思い出です。<br />
ただ、残念なことに、私が打った蕎麦は、つなぎが悪いのか、そもそものやり方がいけないのか、太めで短いものでした。江戸っ子が見たら、てやんでぃ！　と叱るでしょうか。</p>
<p>この原稿を書いているのは2月末日。閏で1日多い今日という日をなんだか特別に感じるので、今夜は蕎麦と行きましょうかね。日本人黒川豆、「細く永く」幸せに生きたいと願います。</p>
<p style="text-align: right;">（文・写真　黒川豆）</p>
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		<title>日本人から切っても切り離せない存在、和紙。</title>
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		<pubDate>Wed, 16 Dec 2015 08:17:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>
		<category><![CDATA[伝統継承]]></category>
		<category><![CDATA[地域資源活用]]></category>
		<category><![CDATA[埼玉県]]></category>
		<category><![CDATA[ユネスコ無形文化遺産]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[和紙]]></category>
		<category><![CDATA[手漉]]></category>

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		<description><![CDATA[スタッフよもやまを担当させてもらって以来、なんとなく神社や日本の神様系の記事の担当が多かった。私もライターとして神がかってきたなぁと思っていたが、今回は、カミについて。こっちの「紙」。先日、埼玉県比企郡小川町を訪ねた。都 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>スタッフよもやまを担当させてもらって以来、なんとなく神社や日本の神様系の記事の担当が多かった。私もライターとして神がかってきたなぁと思っていたが、今回は、カミについて。こっちの「紙」。先日、埼玉県比企郡小川町を訪ねた。都心から1時間半程度電車に乗るとたどり着く、埼玉県西部に位置する町だ。親しくしている友人夫婦が、同町に移住したので、ちょっとご機嫌伺いに。たった1日の小川町滞在だったが、私にとってとても思い出深い町になった。小川町駅に降りてロータリーに出ると、まず目にするのが「和紙のふるさと」という看板やのぼりの数々。どうやら和紙で有名な町であることがわかる。好奇心が膨らみ、観光案内所で聞いてみると、今年の夏、細川紙(ほそかわし)（小川町・東秩父村）が石州半紙(せきしゅうばんし)（島根県）及び本美濃紙(ほんみのし)（岐阜県）とあわせて、「和紙：日本の手漉和紙技術(てすきわしぎじゅつ)」として、ユネスコ無形文化遺産に登録されたとのこと。これは、めでたい。そして知らなかった自称世界遺産マニアの自分が恥ずかしくなった。</p>
<div id="attachment_8673" style="width: 370px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/91b9f37f21cb510096890c0443eebdbd.jpg" rel="lightbox[8671]"><img class=" wp-image-8673 " alt="細川紙" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/91b9f37f21cb510096890c0443eebdbd-450x600.jpg" width="360" height="480" /></a><p class="wp-caption-text">細川紙の紙漉き</p></div>
<p><strong>昔ながらの和紙を体験する</strong></p>
<p>小川町を含め埼玉県の紙漉（す）きの起源は古い。<br />
「正倉院の古文書に記録が残り、1200年を超える歴史が伝えられています。江戸時代になると需要が増し、文化・文政年代（1804年～1830年）に最盛期を迎えました。細川紙の名の由来は、江戸時代紀州高野山のふもとにある細川村で漉かれていた細川奉書の技術を武州小川に移したものであるとされています。以降細川紙はこの産地の代表格として産地を担ってきました。」（埼玉県観光課サイトちょこたびさいたま より）</p>
<p>小川町では、この伝統ある細川紙の紙漉き体験ができる。私もせっかくなので、漉いてみることにした（実は子どものころから紙漉きに憧れていた）。紙の原料は楮（こうぞ）という植物の樹皮。それを水に溶かして紙になるのだが、水中で楮の繊維を均一に分散させるために、トロロアオイという植物の根を混ぜる。これを入れないと、楮が沈んでしまいうまく漉けないとのこと。工程はなかなか大変で、説明するとざっと下記の通り。</p>
<div id="attachment_8677" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/eaec9c696953091705c3a78c83bf9257.jpg" rel="lightbox[8671]"><img class="size-medium wp-image-8677" alt="トロロアオイ　細川紙" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/eaec9c696953091705c3a78c83bf9257-600x271.jpg" width="600" height="271" /></a><p class="wp-caption-text">左：原料の楮／中：楮に混ぜるトロロアオイ／右：トロロアオイを入れて繊維を均一に</p></div>
<p>1. まずは刈り取った楮の皮をむき、釜で煮て柔らかくする。</p>
<p>2. 煮た樹皮を水にさらし、不純物を取り除く。</p>
<p>3. 樹皮を棒でたたき、打解（だかい）機で繊維状にする。</p>
<p>4. 繊維状になった樹皮を漉きず（細い竹ひごを並べ糸で編んだ道具）で漉く。</p>
<p>5. 圧をかけて水を抜き、乾燥させる。</p>
<div id="attachment_8675" style="width: 490px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/568ad4dbb836db1761f6b1fb936518ca.jpg" rel="lightbox[8671]"><img class=" wp-image-8675 " alt="細川紙" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/568ad4dbb836db1761f6b1fb936518ca-600x600.jpg" width="480" height="480" /></a><p class="wp-caption-text">体験した紙漉き</p></div>
<p>紙漉き体験で行うのは、４番目の工程のみ。ちなみに私は、絵はがき8枚を作れるコースにした。漉いた後乾燥させなければならないので、自分が漉いた和紙をその日に手にすることはできない。仕上がりを数日間待つという行為が、紙漉き体験をさらに特別なものにするだけでなく、紙というものが実はとても手間ひまのかかるものであると実感できる。この紙漉き体験は漉くだけではなく、和紙に葉っぱや花びらなどの生の植物を乗せて模様を作ることができるので、これが大変楽しいのだ。冒頭で思い出深いと述べた思い出の大部分はここにあるといっても過言ではない。それくらい楽しかった。<br />
私個人の感想はさておき、埼玉県以外でも、少し日本の和紙について調べてみた。</p>
<p><strong>日本全国和紙のふるさと</strong></p>
<p>和紙の原料は楮だけに限らないらしいので、和紙のふるさとは、原料の生産地と一致している。北は岩手県の東山和紙（とうざんわし）。原料は楮で、自然な色合いと素ぼくな味わいが特徴とのこと。障子紙や民芸紙として使われることが多い。関東では、茨城県に西ノ内紙（にしのうちし）というのがあり、これは地元特有の那須楮を原料としたもので、やや黄色いが、虫がつきにくく丈夫で保存に適している。書道用紙、日本画、水墨画、版画などに使われるほか、永久保存用紙としても生産されているとのこと。</p>
<p>世界無形文化遺産となった和紙である岐阜県の本美濃紙は、繊維が均等にからみ合って漉きムラがない最上の紙質と評価されている。身の周りのちょっとしたもののほか、美術紙、民芸紙や、建築に用いる表具用紙なども生産している。同じく島根県の石州半紙は、楮のほかに雁皮（がんぴ）とみつまたという植物も原料としている。現在でも工程の主な部分はほとんど手作業のため、きめ細かくて丈夫で品格があり、さらに長期保存にも耐えられるのが特徴とのこと。丈夫さを活かして障子紙に利用されている。</p>
<p>細川紙の原料も楮だったが、全国的に見ても楮を原料とする和紙が多い。楮は栽培が容易であったために山間部などの農耕が困難な土地の副業として生産が盛んになったようだ。だから和紙のふるさとは比較的山間地域に多い。</p>
<p>和紙のふるさとはまだまだ各地にあるが、どの和紙もその土地の風土・気候・文化によって質が異なり、用途も違ってくるという面白い発見があった。私たちが普段使っている、工業用パルプで作られたコピー用紙は、全国どこで買っても同じもの。しかし、和紙は、生産地によって、それぞれ違ったプロフィールを持つ個性派ぞろい。これ以上調べるとハマってしまって、パソコンのキーを叩いている場合ではなくなるので、この辺でやめておくけれども、興味のある方はぜひ全国の和紙を細かく調べてほしい。</p>
<p><strong>紙と日本人の暮らし</strong></p>
<p style="text-align: left;">世界的に見ても、日本人の文化は、紙ととともにあったような気がする。たとえば、和室。日本家屋では、部屋と部屋を仕切るのは襖（ふすま）だが、襖の材料は紙。そして窓ガラスがない時代でも自然光が入って部屋が明るかったのは、障子を使っていたからで、これも紙。暮らしの道具でも紙は多用されていた。電気のない江戸時代に灯りとして使われていた行灯（あんどん）も、提灯（ちょうちん）も紙。それから雨が降った時にさしていた番傘も紙だ。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/c23c1dbec4421d1497c988130b9ee441.jpg" rel="lightbox[8671]"><img class="aligncenter  wp-image-8678" alt="あかり" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/c23c1dbec4421d1497c988130b9ee441-480x600.jpg" width="384" height="480" /></a></p>
<p>紙漉きの技術向上とともに、全国に生産地が広がり、和紙の生産が最盛期を迎えた江戸時代は、貸本屋を通じて一般庶民が気楽に本を読めるようになり、印刷技術も向上したため和紙を使って多くの出版が行われた。また浮世絵などの版画が流行し、大量の紙が消費されるようになった。ヨーロッパで油絵が主流となって、キャンバスに描かれるようになっても、日本画は和紙に描かれていた。<br />
紙を大量に消費するようになったとはいえ、江戸時代は世界一リサイクルが進んでいたといわれるように、古紙のリサイクルがきちんと行われていた。路上などに落ちている紙を拾って漉き直す専門の職業もあったという。</p>
<p>このような江戸時代のことがわかるのも、考えてみたら紙のおかげ。現代のコピー用紙と和紙を比較すると、強度と保存性に格段の差があることがわかった。和紙は、原料の繊維の長さがコピー用紙より長いため、強度のある紙になる。また、コピー用紙は紙の劣化を進める成分が多く含まれているため、変色や変質がおこりやすいが、和紙は原料に紙を弱くする成分が少ないため、傷みにくい。そもそも和紙の製作工程には、繊維を傷めるような工程があまりないそうだ。</p>
<p>つまり、和紙は、長持ちする。これまでの日本の歴史を知ることができる資料は、和紙に書かれていた。だから、2015年の私たちも、当時の文字を読んだり絵を見たりすることができるのだ。コピー用紙は、この先何百年と持つのだろうか――。関係ないが、私の卒論は、感熱紙にワープロを打ったので、もう消えてなくなってしまった……。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/a5e3432feda37e26cf4a1c7dbda4ba29.jpg" rel="lightbox[8671]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8680" alt="巻物写真" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/a5e3432feda37e26cf4a1c7dbda4ba29-600x399.jpg" width="600" height="399" /></a></p>
<p><strong>ペーパレス時代だからこその和紙の温かみ</strong></p>
<p>現代ではエコの考え方から、ペーパレスが叫ばれている。徹底している企業では、会議で資料など一切配布されず、全員が手元に持っているタブレットにデータが配信される。書類のやりとりも郵送やファックスよりメールで行われる。申込書の類も、パソコンでのフォーム入力が主流になり、クレジットカードや携帯電話の利用明細もウェブでの参照が中心だ。<br />
ニュースをウェブで読む人が増え新聞の販売部数が減ったとか、小説なども今やデータで購入できるので、出版社が困っているとか、現代の紙にまつわるエトセトラはいろいろ。<br />
これらは明らかに、身の回りから紙を減らそうという動きの一環である。</p>
<p>おっと、そろそろ年賀状の季節だ。では、年賀状もペーパレスにしてしまう？<br />
メールやLINE、Facebookで「あけましておめでとう」もいいが、1年に1度くらいは、紙に丁寧に書いてみるのはどうだろうか。全部じゃなくても、大切な人へは、裏も表も手書きで！　なんてかなり目立つし、秀逸だと思う。</p>
<div id="attachment_8676" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/c7f900508326eb1c9795749b76376f39.jpg" rel="lightbox[8671]"><img class="size-medium wp-image-8676" alt="細川紙" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/c7f900508326eb1c9795749b76376f39-600x450.jpg" width="600" height="450" /></a><p class="wp-caption-text">今回の体験で漉いたハガキセット</p></div>
<p>そうそう、小川町で紙漉き体験をして自分で作ったはがき8枚だが、うち2枚を使ってお世話になっている友人に挨拶状を書いてみた。ペン先の引っかかり、インクの染み込み、思い出せず手が止まってしまう漢字、絵文字やスタンプでは表現できない感情。和紙に綴る言葉がとても温かい、血が通ったものであることをあらためて実感した。<br />
私は、今年は手書きの年賀状にしようと決めた。できれば和紙がいいが、お年玉をつけたいので、今週あたり郵便局に行こうかと。（文・写真　黒川豆）<br />
【HP】紙漉き体験〈<a href="http://saitamacraft.com/wasikoubou_f.html" target="_blank"><span style="color: #0000ff;"><strong>埼玉伝統工芸協会「和紙工房」</strong></span></a>〉</p>
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		<title>神様にだって得意不得意がある？</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Oct 2015 02:42:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>
		<category><![CDATA[国造り]]></category>
		<category><![CDATA[日本神話]]></category>
		<category><![CDATA[神頼み]]></category>

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		<description><![CDATA[機会があって、日本の神話の絵本「いなばのしろうさぎ」を読んだ。皮をはがされて泣いていたかわいそうなうさぎを大国主の命（おおくににしのみこと）、のちに出雲大社に祭られる神が助けた、という話しはご存じの方も多いだろう。 これ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>機会があって、日本の神話の絵本「いなばのしろうさぎ」を読んだ。皮をはがされて泣いていたかわいそうなうさぎを大国主の命（おおくににしのみこと）、のちに出雲大社に祭られる神が助けた、という話しはご存じの方も多いだろう。</p>
<p style="text-align: left;">これには続きがあって、泣いていたうさぎに嘘をついてますます痛い目にあわせたのが大国主の兄たちで、この兄たちは、噂の美女神八上姫（やがみひめ）に求婚したが、「わたしは大国主様以外の男性とは結婚しません！」とあっさりとふられてしまった。日ごろより兄たちにこき使われていた大国主が因幡（いなば）の国を治める美しい八上姫と結ばれて、幸せに暮らしたとさ、ちゃんちゃん。というハッピーエンドが一般的に信じられている。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/inaba.jpg" rel="lightbox[8588]"><img class="aligncenter size-full wp-image-8592" alt="大国主 因幡の白兎" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/inaba.jpg" width="400" height="300" /></a>さて、大国主が祭られた出雲大社は、日本でも海外からの観光客からも大人気の縁結びの神様。縁結びというと、男女の出会いを筆頭として、人と仕事や、取引先や、友人などとのご縁も願われている。「いなばのしろうさぎ」的に考えると、大国主はかわいそうなうさぎを助け、兄たちに従順でやさしいうえ、噂の美女にモテて結ばれた。だから縁結びの神になったのだろうか――。</p>
<p>と、この予想は当たっているのかどうなのかは置いておいて、じつは、「いなばのしろうさぎ」にはさらなる続きがある。自分たちを裏切って（実際は好かれてしまっただけなのだから仕方ない）八上姫と結ばれた大国主が憎くてたまらない兄たちは、だまして殺してしまう。母神に助けられて大国主が生き返ると、再度殺してしまう。母神がもう一度生き返らせても、しつこく命を狙ってくる。ここで母神がとった手段が、「もうここにいても兄たちに殺されるだけ。ご先祖様のスサノオノミコトがいる黄泉の国（よみのくに）へ行きなさい」というもの。大国主はご先祖様が暮らす黄泉の国に向かって遥かなる旅に出るのだった。<br />
ここで絵本はThe end。</p>
<p><strong>出雲大社はなぜ縁結びで有名なのだろうか</strong></p>
<p>戦線離脱？　八上姫は？　結婚は？<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/1ea36cb3cf25488be21eaf0b9128dd19.jpg" rel="lightbox[8588]"><img class="aligncenter size-full wp-image-8590" alt="出雲大社" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/1ea36cb3cf25488be21eaf0b9128dd19.jpg" width="400" height="533" /></a>そう思ったのは私だけではないだろう。現代の私たちからすれば、大国主は縁結びの神なのだから、ちゃんと結ばれてもらわなければならない。兄たちほどではないがしつこい私は調べた。この続きを。</p>
<p>黄泉の国へたどり着けた大国主は、スサノオの娘とできてしまった。それもこっそりと。娘に手を出した男にスサノオは怒りまくり、いろいろないやがらせをする。それを、兄たちのいじめで鍛えられていたのか、大国主は見事にかわし、黄泉の国から嫁連れで出雲の国へ戻ってきてしまうのだ。もともと婚約していた八上姫も、その後もうひとりの奥さんとして迎えられた。（かわいそうに、八上姫は子を産んだ後に身を引いて実家に帰ってしまったようだが、）結局、大国主はふたりの美女とこの時点で結婚している。ということで、縁結びにつながっていくのだろうか。</p>
<p>さらにしつこく調べてみると、男女のどうのこうのではなく、国をつくった後、国を天孫に譲り（国譲りと呼ばれているできごと）、大国主は神事を治めることになった。現世からは見えないところで縁を操っている神ということで、江戸時代の井原西鶴の「世間胸算用」には、仲人（なこうど）の神と書かれているらしい。そのあたりから縁結びの神になっていったのではと言われている。たぶんこれが有力。</p>
<p>日本全国に縁結びの神がある。大国主ほど壮大スペクタクルではなくても、なんらかの、縁を結んだストーリーがある。</p>
<p>例えば、東北の伊勢と呼ばれる山形県の熊野大社は、「ああ、なんて素敵な女性なのだろう」「ああ、なんて素敵な男性なのだろう」というセリフを交わし合った、日本最古のプロポーズをして結ばれたと言われる、イザナギノミコトとイザナミノミコトを祭った神社。それゆえ、縁結びの神として有名だ。</p>
<p>縁結びに限らず、日本全国には、〇〇にご利益のある、〇〇の神様と呼ばれる神社が多数ある。壮大スペクタクルな前書きになってしまったが、今回は、さまざまなご利益のジャンルからいくつかをピックアップして、ある特徴を持った神様を祭る神社を紹介したい。</p>
<p><strong>気象の神様を祭った氷川神社</strong></p>
<p>今年の9月は、日本全国がいわゆる“ぐずついた”天気に見舞われる日が多い。大雨による痛ましい被害、公共交通機関の乱れ、外で乾せなくてなんとなくにおう洗濯物、行楽シーズンでもあるし、カラっと晴れてもらいたいものである。こんな時は、どこにお願いするか。</p>
<p>東京都杉並区高円寺に住んでいた時、近所に氷川神社があった。その神社の中に「日本で唯一のお天気神社」と書かれてあったことを思い出した。当時はとくに気にせず素通りしていたが、気象神社と言うからには、気象について、なんらかのストーリーとご利益を持つ神社なのだろう。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/hikawa.jpg" rel="lightbox[8588]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8594" alt="気象神社　氷川神社" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/hikawa-600x498.jpg" width="600" height="498" /></a>気象神社は元々、昭和19年に設立された「陸軍気象部」の中にあったもの。戦後にGHQが出した「神道指令」により国家神道が廃止された際に撤去される運命の神社だったらしい。ところが政府の手続きミスで残ってしまったので、氷川神社が払いうけて今の場所にもってきたというストーリーがあった。</p>
<p>なぜ陸軍に気象部があったかというと、当時飛行機を飛ばすことを含め、戦闘がお天気に左右されることもあったから。一説では、風船爆弾の研究をやっていたところだったとも言われている。</p>
<p>祭られているのは八意思兼命（やごころおもいかねのみこと）という神様で、知恵の神様として「古事記」に登場するとのこと。ちなみにこの神社には「下駄の絵馬」が売られている。「あーした、てんきに、なーぁれー」の下駄占いと関係あるのだろうか（笑）</p>
<p><strong>現代の悩みを聞いてくれる神社</strong></p>
<p>江戸時代の庶民が神社に行ってお願いをしたのは、次のようなものが多かったという。</p>
<p>頭痛、疱瘡（ほうそう）、虫歯、百日咳（ひゃくにちぜき）、怪我除け、夫婦仲、蛇除け、脚気（かっけ）、眼病、痔（ぢ）、いぼ取り、安産、盗賊除けなど。</p>
<p>健康に関するものが多いのは、医療が進んでいないので、病気平癒も神頼みということが多かったからだろう。庶民の願いは、時代とともに変遷する。いつの時代にも共通なのが、家内安全、無病息災、商売繁盛であるが、高度成長期以降、にわかに増えた祈願がある。交通安全と入学試験の合格祈願だ。急速なモータリゼーションによって車の交通量が増えるとともに、増えた交通事故と、学歴社会の到来で増えた受験。</p>
<p>現代にいたっては、サラリーマンのリストラ除けの神様（正確にはお地蔵様）まである。東京都練馬区にある中村八幡神社の裏手には、首つぎ地蔵というお地蔵様がある。首がなかった地蔵の胴体に関東大震災後に持ち込まれた地蔵の首をつなぎ合わせたのでそういう名前がついたらしい。「首がつながる」ということで、「リストラ除け」が祈願されるようになったらしい。</p>
<p style="text-align: center;">男性が気になるかもしれない神社もある。京都府嵐山にある、御髪（みかみ）神社だ。名前でわかるように、神にまつわる願いを叶える神様として、薄毛・ハゲ防止を祈願する人たちが訪れるという。この神社の歴史は比較的新しく、1961年に京都市の理美容業界関係者らによって建立されたとのこと。尚、境内には切った髪を納める髪塚が存在している。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/mikami.jpg" rel="lightbox[8588]"><img class="aligncenter size-full wp-image-8593" alt="御髪（みかみ）神社" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/mikami.jpg" width="459" height="328" /></a></p>
<p><strong>自分の好みで祈願できる神社</strong></p>
<p>好きなので、近眼女の私が個人的に気になっているのが、メガネの神様。山口県の玉祖神社は、三種の神器のひとつである「まがたま」を作った玉祖命（たまおやのみこと）がメガネの神様として祭られている。なぜかというと、レンズの別名が玉だから。ちなみに宝石やカメラの守り神でもあるそうだ。新しいメガネを買った時に、自分にしっくりくるように、長持ちするように、何よりかっこよく装えるように参拝したい気がする。その時には、使い古したメガネを奉納したりして（そのようなことをやっているかは不明）。</p>
<p>私たちの毎日に欠かせない時計にも神様がいる。滋賀県大津市の近江神宮は時計神社とも呼ばれる。祭られているのは、中臣鎌足と一緒に大化の改新を行った天智天皇。この天皇がなぜ時計の神様になっているかというと、日本で最初に時計（水時計）を作ったと言われるからだ。近江大津宮に遷都した際、作った水時計があったのが、大宮神宮付近だったとのこと。今でもその模型が置いてあり、どんな時計なのかを見ることができるらしい。</p>
<p>近江神宮には、「ときしめす守」というお守りがある。 「進むべき時を示し　進むべき道を説き示す」という願いが込められている。開運は時の一瞬が左右することがあるので、 チャンスを確実に獲得するために、決断と前進をしようという守護符だという。何やら大事なチャンスを逃していることが多いと感じているあなた、これは、ひとつ欲しいと思ったのではないだろうか。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/988c16d817e815bb29333ad0b5cc77d2.jpg" rel="lightbox[8588]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8589" alt="おみくじ" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/988c16d817e815bb29333ad0b5cc77d2-600x399.jpg" width="600" height="399" /></a>まだまだ気になる神社は多い。どうぜ参拝するなら、どの神社にどんな神様が祭られているかを調べて、自分の願いにピンポイントな神様を選ぶのもいいだろう。</p>
<p>とりあえず私は、漬物の神様が祭られている、愛知県あま市の萱津（かやづ）神社に参拝してみたい。香の物殿の前にある漬物石を3回なでると、漬物上手になるという。ぬか漬けが大好きだが、何度もぬか床をダメにしてしまった。かき混ぜて可愛がっていたのに、先日も……。ということで。（文・写真 黒川 豆）</p>
<p>紹介した神様のホームページ<br />
<strong>出雲大社</strong><a href=" http://www.izumooyashiro.or.jp/" target="_blank"> http://www.izumooyashiro.or.jp/</a><br />
<strong>熊野大社</strong> <a href="http://kumano-taisha.or.jp/" target="_blank" rel="nofollow">http://kumano-taisha.or.jp/</a><br />
<strong>氷川神社（気象神社）</strong> <a href="http://www.hikawajinjya.jp/" target="_blank" rel="nofollow">http://www.hikawajinjya.jp/</a><br />
<strong>御髪神社</strong> <a href="http://www.mikami-jinja.net/" target="_blank" rel="nofollow">http://www.mikami-jinja.net/</a><br />
<strong>近江神社</strong> <a href="http://oumijingu.org/" target="_blank" rel="nofollow">http://oumijingu.org/</a></p>
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		<title>ウキウキの浮世絵に見る、江戸の絵師たちの粋</title>
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		<pubDate>Wed, 15 Jul 2015 09:53:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>

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		<description><![CDATA[私は妙に江戸時代が好きだ。どれらいかと言うと、もし1回だけタイムスリップができるならどこに行きたいか？　と問われれば、江戸、絶対江戸時代の江戸の町と決めている。TBSのテレビドラマ「-JIN- 仁」が放送される前から考え [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>私は妙に江戸時代が好きだ。どれらいかと言うと、もし1回だけタイムスリップができるならどこに行きたいか？　と問われれば、江戸、絶対江戸時代の江戸の町と決めている。TBSのテレビドラマ「-JIN- 仁」が放送される前から考えていたということを先に言っておく。</p>
<p>だから江戸が題材の映画も小説も好むが、とくに高橋克彦氏の江戸を舞台とした小説が好きだ。「だましゑ歌麿」というシリーズがあり、たまたま今週、わりと最近出版された「かげゑ歌麿」という小説を読んでいたので、個人的に江戸熱、特に浮世絵熱が高まっている。ちなみに「ゑ」は「絵」のこと、歌麿とは、喜多川歌麿のことである。ということで、今回のスタッフよもやまは、江戸の浮世絵にスポットを当ててみたいと思う。</p>
<p>浮世絵は、日本のみならず今や世界的にファンや研究家が大勢いる。アメリカのボストン美術館では、約6500点（内約400点が歌麿のもの）もの浮世絵が隠しコレクションとされていたらしいし、かのゴッホが浮世絵に影響を受けたというのは有名な話だ。前述の高橋克彦氏は小説家ではあるが、浮世絵研究家でもある。浮世絵にスポットを当てて書くと言っても、私は研究家でも愛好家でもなく、浮世絵ド素人なので、少し視点を変えて、私なりに地元びいきっぽいと思ったことを綴らせていただく。</p>
<p><strong>浮世絵はウキウキの世の中の絵？</strong></p>
<p>まず、浮世絵という名称はいつから使われたのだろうか、というところから。中世以前、日本では庶民もたびたびの戦乱に巻き込まれ、貧困に苦しんでいた。そんな折、仏教の厭世的思想により、現世は「憂き世」で無情の世であると考えられるようになり、15世紀後半には、来世の極楽浄土へ行くことが人びとの願いとなっていった。長い応仁の乱の戦火をくぐり抜け、中世末期にようやく平和がおとずれた。新興の武家に支配権が移って行くと、庶民は、現世は束の間の明るさといわんばかりに享楽を求め、「憂き世」はいつしか浮き浮きと気楽に暮らす浮世といわれるようになっていった。なんと前向きな言葉に変換されたことだろう。</p>
<p>江戸時代になりやがて浮世は現代風、当世風という意味を持つようになっていった。そんな現代風の世の中を描いたものが浮世絵で、江戸時代初期の天和2（1616）年に出された井原西鶴「好色一代男」では浮世絵が登場している。</p>
<p><strong>浮世絵はアイドルのポスターやブロマイド</strong></p>
<p>版画の多色刷りの技術が発達し、版元といわれるいわゆる出版社も増えると、浮世絵は大量に刷られるようになった。江戸の庶民は、好きな役者や美しい女性の浮世絵を所持して眺めたり、部屋に貼っていたという。これは現代と同じ。絵が写真になっただけで、私たちも同じことをしている。アラフォーの私の世代は、小学校や中学校の頃、透明な下敷きに好きなアイドルの切り抜きを入れて学校に持って行ったり、部屋にポスターを貼ったりしていた人がほとんどなのではないだろうか。私は大学進学と共に上京したが、実家に戻ると90年代の高校生がそのまま暮らしていそうな、某アイドルの写真やロックバンドのポスターが部屋の壁に貼ってあったりする。（連続テレビ小説「あまちゃん」の春子の部屋ほどではないが）客観的に見て面白いから、あえてそのままにしている。</p>
<p>私の部屋の話は余談として、江戸時代にもアイドルはいた。有名な歌舞伎役者や吉原の花魁だけではなく、一般人女性にも江戸庶民によく知られるアイドルがいた。極めて一般人に近いアイドル……、今もよく似た現象があるような気がするのだが、喜多川歌麿の時代には、町娘である一般人女性を描いた美人画が流行した。今でいうと、雑誌の読者モデルが有名になるような感じだろうか。とくに有名なのが、当時三美人と言われた富本豊ひな、難波屋おきた、高島屋おひさを描いたもの。正直、ぱっと見では、町娘三人とも同じ顔に見えるのだが、よくよく見てみると、神の結い方が微妙に違ったり、目の形や鼻筋の線などが違い、三者三様違う顔をしている。ちょっと首を開けて着る着物の感じは、見れば見るほど美しく感じてくる。これは浮世絵の知識がなくても見える範囲でわかる違いだ。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/a991c8a0eea9d3ac6af0d79c93aa4df2.jpg" rel="lightbox[8431]"><img class="aligncenter size-full wp-image-8442" alt="歌麿三美人" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/a991c8a0eea9d3ac6af0d79c93aa4df2.jpg" width="357" height="520" /></a></p>
<p>江戸時代の美しい女性を描いた浮世絵についてだが、この顔が本当に美人なの？　などと思ったことは誰しもあるのではないだろうか。今は、どちらかというと目がぱっちりした女性が「かわいい」とか言われることが多いし、もちろん日本美人も大勢いるが、芸能界では外国人とのハーフやクオーターが「美しい」女性として活躍していたりする。浮世絵の女性の描き方には独特の傾向があって、時代や絵師によってもかわってくるが、小さい、あるいは切れ長の細い目、細面や下ぶくれの顔をしている。現代の美人とは感覚がずいぶん違う気がするが、この手の顔は古くから日本人の理想とされていたらしい。ポルトガル出身の宣教師で日本についての著述を多く残しているルイスフロイスの日本覚書に美人画についてこう書かれている。「ヨーロッパ人は、大きい眼を美しいとみなす。日本人は、それをぞっとするようなものとみなし、涙の出る部分が閉ざされているのを美しいとする」と。涙の出る部分を閉ざすことを大事にしているという部分が、とても興味深い。涙からは悲しみを連想するからだろうか。</p>
<p><strong>謎解きを楽しめる判じ絵</strong></p>
<p>ところで、一般人女性を描いた美人画だが、寛政の改革のころの出版物や浮世絵に対する厳しい取り締まりで、特定の女性を描くことが禁止された。白河藩の経営で手腕を発揮し、老中に抜擢された超真面目人間だった松平定信は浮世絵を、特に喜多川歌麿を毛嫌いしたと言われている。ここで権力と戦う男喜多川歌麿は、町娘を描き続けるための起死回生のアイデアとして、判じ絵を用いて、誰を描いたものであるのかを世に示している。この判じ絵が面白い！</p>
<p>これが町娘の名前をなぞなぞにした判じ絵。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/cfb0b4196ce27a1b736b2d95fdce171b.jpg" rel="lightbox[8431]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8443" alt="難波屋おきた" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/cfb0b4196ce27a1b736b2d95fdce171b-397x600.jpg" width="397" height="600" /></a></p>
<p>左上の絵は、菜が二束と矢で「なにわや」、沖と田んぼで「おきた」。だから、難波屋おきたを描いた美人画ということになる。</p>
<p>判じ絵については、NAVERなど<a href="http://matome.naver.jp/odai/2127165957647741401" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">面白くまとめたサイト</span></a>があるので、ご参考と暇つぶしにどうぞ。</p>
<p><strong>春画はポルノグラフィティではない</strong></p>
<p>浮世絵の中で密かな人気のあるジャンルが春画だ。今でいうアダルト画像や動画などと同等のものとして白い目で見られることがあるが、男性が楽しむポルノグラフィティと捉えられるようになったのは明治以降だという。江戸時代には春画は男性だけが楽しむものではなかった。「江戸の当時は、嫁入り前の娘も共白髪の夫婦も、老若男女が春画に親しんでいたのです。よくよく見れば、そこにあるのは今でいうナンパ、不倫、同性カップル、コメディ、悲劇、ファンタジー……と百花繚乱の恋模様」（浮世絵入門「恋する春画」より）というバラエティに富んだものであったようだ。</p>
<div id="attachment_8440" style="width: 280px" class="wp-caption aligncenter"><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/3f412e7355d909e08e37d50e8577f841.jpg" rel="lightbox[8431]"><img class="size-full wp-image-8440" alt="富嶽三十六景" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/3f412e7355d909e08e37d50e8577f841.jpg" width="270" height="186" /></a><p class="wp-caption-text">富嶽三十六景</p></div>
<p>春画には専門の絵師がいたわけではない。得意不得意もあっただろうが、私たちが名前をよく知る有名な絵師たちも春画を描いている。ただし、町娘を描くことすら禁止された厳しい時代には、もちろん春画なんて大っぴらにかけるわけがない。しかし、ダメダメと言われると描きたくなるのが江戸っ子絵師たち。錦絵を確立した鈴木春信も、前述の喜多川歌麿も、あの富嶽三十六景の葛飾北斎も春画を描いていた。美人画を描いていた絵師が春画を描くのはわかるが、風景がを得意とした北斎までもが春画を描いていたのはなぜだろうか？　春画は美人画や風景画と比べて稿料が高く、食べていくために、稼ぎのために描いたという絵師がほとんどのようだ。が、中には、楽しんで描いていた絵師もたくさんいたような気がする。もちろん、本名で描くことなどできないので、隠号（ペンネーム）を使ったが、その隠号を見てそう思った。葛飾北斎の隠号のひとつは「鉄棒ぬらぬら」。響きがなんだか……、北斎の本名は鉄蔵、だからわかる人にはわかってしまう。ちなみに、高橋克彦の「だましゑ歌麿」シリーズでは、北斎は「てっちゃん」と呼ばれている。</p>
<p>この「鉄棒ぬらぬら」さんが描いた春画で最も有名かつ芸術性が甚だしい作品があるので、あるサイトからお借りして貼り付けてみた。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/ec52d9a1460d4f6fd3017e3ee3728325.jpg" rel="lightbox[8431]"><img class="aligncenter size-full wp-image-8441" alt="北斎春画" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/ec52d9a1460d4f6fd3017e3ee3728325.jpg" width="590" height="405" /></a></p>
<p>蛸と女性が交わるなど、すごい発想。この絵にはセリフのようなものが長々と書かれているのだが、ここで書くのは憚れるので、興味のある人は、ウィキペディアなどで調べてもらいたい。ものすごく、ノリノリなのだ、北斎さんが！</p>
<p>春画は海外では芸術品とても高い評価を得ているというが、明治以降の日本人はどこか恥ずかしいものとして隠してしまう傾向にあった。美術館などで催される浮世絵展などに行っても春画が展示されていることはほとんどない。子どもに見せるのちょっと……というならば、TSUTAYAのアダルトコーナーのように、別コーナーを設けてもいいではないか。自由と開放感と茶目っ気と、そういった江戸っ子のスピリットを見ることができて楽しいのに、隠しておくにはもったいない。そういえば、図書館の浮世絵コーナーにも春画に関するものはなく、書庫にしまってあったので出してもらった。実は、図書館の係りの人に「この女性はエロなのか？」と思われなかったか気になっていた私である。</p>
<p>最後に、TSUTAYAの話を。喜多川歌麿や葛飾北斎などが、駆け出しで食えない時代から才能を見出し、その面倒を見て、ある意味彼らを有名にしたスポンサーでもあった、江戸の版元が蔦屋重三郎であった。蔦屋重三郎は、「江戸時代にあって、豊富なアイデアで新しい出版事業を次々と開拓した板元であった」（「歌麿 抵抗の美人画」より）と言われているが、DVDのレンタル事業や新カタチの書店など、幅広い事業展開を行っているTSUTAYAは、創業者が蔦屋重三郎をリスペクトして命名したそうだ。</p>
<p>わずかかけそば一杯程度の価格で消費されていた浮世絵だが、江戸っ子の歴史、文化、そして魂をたっぷり吸いこんだ重要な資料であることがわかった。目に触れる機会があったら、隅々までじっくり眺めて、絵師たちの粋を感じてほしい。</p>
<p style="text-align: right;">（文・黒川豆）</p>
<p><strong>参考文献</strong><br />
北斎漫画を読む　有泉豊明　里文出版<br />
浮世絵　大久保純一　岩波新書<br />
歌麿　抵抗の美人が　近藤文登朝日新書<br />
浮世絵に見る日本の二十四節気　藤原千恵子　河出書房新社<br />
浮世絵入門　稲垣進一　河出書房新社<br />
浮世絵に見る日本ふるさと百景　藤原千恵子　河出書房新社<br />
伝説と古典を描く北斎クローズアップ　永田生慈<br />
浮世絵入門　恋する春画　橋本治　早川聞多　赤間亮　橋本麻里</p>
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		<title>都会の生活に、顔の見える農産物がある贅沢</title>
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		<pubDate>Thu, 02 Jul 2015 06:58:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ものづくり・地場産業]]></category>
		<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>
		<category><![CDATA[地域資源活用]]></category>
		<category><![CDATA[神奈川県]]></category>
		<category><![CDATA[食、名産、特産]]></category>

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		<description><![CDATA[意外と知らない地元のこと 私は横浜生まれ横浜育ちの人間です。 よく出身地を聞かれて「横浜です」というと、“都会っ子、はまっ子”と言われたり、“海の見える街に住んでいるの？”と聞かれたりします。 （「何で“神奈川”じゃなく [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><b>意外と知らない地元のこと</b></p>
<p>私は<b>横浜</b>生まれ<b>横浜</b>育ちの人間です。<br />
よく出身地を聞かれて「横浜です」というと、“都会っ子、はまっ子”と言われたり、“海の見える街に住んでいるの？”と聞かれたりします。<br />
（「何で“神奈川”じゃなくて“横浜”っていうの！」と怒られたりもします。）<br />
でも私の周りには梨農家や牧場があったり。“横浜”のイメージに合うおしゃれな場所とはかけ離れた場所に住んでいます。</p>
<p>大学の知り合いには入学を機に地方から来ている学生も多いです。その人たちは「うちの地元はこんなのがある！」などと、<b>生まれ育った地域に自信や誇りを持っている</b>ように感じていました。<br />
一方で神奈川育ちの自分は、「意外と地元のこと知らないし、そこまで自信を持つことができないなぁ。」と思ってしまったのです。<br />
（「横浜っていったら“みなとみらい”」とか「リゾートだったら湘南ビーチと箱根」とかしか思い浮かばない…）</p>
<p><b>神奈川食べる通信に出会う</b></p>
<p>そんな時、ゼミの講演がきっかけで「東北食べる通信」という団体に出会いました。<br />
食べる通信とは簡単に言えば、定期購読雑誌を通じて『生産者と消費者を顔の見える関係にする』仕組みを作っています。（※詳しくは<a href="http://jimoto-b.com/7774" target="_blank"><span style="color: #0000ff;"><em>こちらの記事</em></span></a>で！）<br />
団体の代表を務める高橋博之さんの<b>「消費者は高みの見物をやめてグラウンドに降りてみろ！」</b>という言葉はずしんと心に響きました。<br />
そしてこの団体の活動が地元の神奈川でも行われていることを知って、思い切って<b>「お手伝いさせてください！」</b>とメンバーの方にメッセージを送りました。それが<b>“神奈川食べる通信”</b>です。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/tabe.jpg" rel="lightbox[8385]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8387" alt="tabe" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/tabe-399x600.jpg" width="399" height="600" /></a></p>
<p><strong>相模半白節成という湘南伝統のきゅうり</strong></p>
<p>初めて農家訪問をしたのは、平塚できゅうり農園を経営している吉川貴博さんです。<br />
元々サラリーマンであった吉川さん。脱サラをして実家の農家を引き継ぎ、相模半白節成という湘南の伝統野菜を復活させました。<br />
旬で稼ぎ時である夏の時期。朝は５時、ほとんど休みなく夜１０時まで、きゅうりの発育に合わせ、一日二回の収穫と出荷。もちろん休日なく働きます。</p>
<p>「神奈川食べる通信」は週末に体験ツアーを企画。農園に会員になった読者さんがいらっしゃいます。私は読者受け入れのスタッフを行いつつ、きゅうりの草取りや箱詰めなど、吉川さんのお手伝いをしています。</p>
<p>農家さんがこんな忙しい毎日を送って“きゅうり”を作っている。そんな裏側を体験した私にとって、食のありがたみはもちろん、現状を知って食べることのできる<b>“贅沢さ”</b>を感じました。<br />
吉川さんのつくる湘南野菜は、私の家の近くのスーパーにも来ていることも知りました。そうした“きゅうり”を見ると、とても<b>親近感</b>を覚えるのです。</p>
<p><b>顔のみえる農産物がある贅沢な暮らし<br />
</b>「神奈川の地産地消に貢献する」よりは、<b>「神奈川の都会でも顔の見える地産地消な食を味わう」<br />
</b>義務感に囚われず、人との繋がりを通して、<b>「自分自身が楽しく、贅沢だと思える暮らし」</b>ができる面白さ。<br />
そこに多くの人が共感して、結果的に神奈川という地域が強い地域になってほしいです。</p>
<p>グローバル社会・分業化社会と呼ばれ、大きな枠で互いに依存し合っている世の中。<br />
そんな中で身近な所にいる生産者と繋がることとは？<br />
<b>「小さな一地域として自立する」</b>また<b>「一個人として楽しく地域に誇りを持って生きる」</b><br />
そのヒントが隠されているのではないでしょうか。</p>
<p style="text-align: right;">（文・写真　長村和樹）</p>
<p>【HP】<a href="http://taberu.me/kanagawa/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">神奈川食べる通信<br />
</span></a><a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/kyuri.jpg" rel="lightbox[8385]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8386" alt="神奈川食べる通信" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/kyuri-399x600.jpg" width="399" height="600" /></a></p>
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		</item>
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		<title>【地域に会いにいこう】「友達に会いにいく」感覚で地域や人に会いにいく</title>
		<link>http://jimoto-b.com/8361</link>
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		<pubDate>Mon, 22 Jun 2015 07:08:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[和田富士子]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[スタッフよもやま]]></category>
		<category><![CDATA[体験・まなび・旅]]></category>
		<category><![CDATA[古民家・空地再生]]></category>
		<category><![CDATA[地域資源活用]]></category>
		<category><![CDATA[移住・Uターン]]></category>
		<category><![CDATA[長野県]]></category>
		<category><![CDATA[マルシェ]]></category>
		<category><![CDATA[中山間地]]></category>
		<category><![CDATA[地域活性]]></category>
		<category><![CDATA[田舎遊び]]></category>
		<category><![CDATA[空きペンション]]></category>

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		<description><![CDATA[東京から約２時間半、長野県と山梨県にまたがる位置に私が活動拠点にしている八ヶ岳南麓地域があります。八ヶ岳は年間通して登山ができるだけでなく、山麓には様々な性質の温泉や、夏でも夜温が２０度を下回る冷涼な高原が広がり、国から [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>東京から約２時間半、長野県と山梨県にまたがる位置に私が活動拠点にしている八ヶ岳南麓地域があります。八ヶ岳は年間通して登山ができるだけでなく、山麓には様々な性質の温泉や、夏でも夜温が２０度を下回る冷涼な高原が広がり、国からも指定される観光圏（八ヶ岳観光圏）であり、レタスやセロリ、キャベツなどの高原野菜の産地でもあります。</p>
<p>「八ヶ岳エリアの魅力を多くの方に知って欲しい」この一心で『地域に会いにいこう』という活動を行っています。主にWebメディアでの情報発信と、「地域に会いにいくツアー」と題して、月に１度、八ヶ岳エリアにある原村（長野県諏訪郡原村）を中心に地元体験ツアーを実施しています。「地域に会いにいこう」は、『友達に会いにいく』感覚で地域に行く人を増やすために、都会に住んでいる若者と地域をつなげる活動です。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/11420096_845661178837042_447221043_o.jpg" rel="lightbox[8361]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8363" alt="地域に会いにいこう" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/11420096_845661178837042_447221043_o-600x450.jpg" width="600" height="450" /></a></p>
<p>私がお世話になっている原村は、30～40年前にあったペンションブームの中でも最も注目されたエリアの一つです。当時は積極的な誘致が行われ、100軒以上ものペンションが集まる広大なペンションヴィレッジが出来上がりました。当時は、まるで渋谷のように観光客が溢れ、活気があったそうです。しかし、今は観光客数も減り、稼働しているペンションも少なくなっています。</p>
<p>私には「ペンションを中心とした観光で原村を元気にしたい」という想いがあります。毎月のツアーでは高原野菜の農家さんや地元の企業と連携をして、少しでも原村や八ヶ岳エリアの魅力を発信するべく、都会から参加者を募っています。</p>
<p>そもそも原村での活動は、ある空きペンションを改装するところからスタートしました。都心の若者と、地元の若者がペンションに集まり、みんなが集まれるペンションをつくるのを目標に壁を3か月かけて塗ったり、庭にピザ釜をつくったりしました。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/11269453_845660838837076_921375457_n.jpg" rel="lightbox[8361]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8364" alt="地域に会いにいこう" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/11269453_845660838837076_921375457_n-450x600.jpg" width="450" height="600" /></a></p>
<p>活動を続けているうちに地元との繋がりも生まれました。都内からUターンしてきた若手農家がペンションに集まってくれるようになり、都会から来たツアー参加者を交えて、昼間に農作業を手伝い、貰った野菜でBBQをしたりと、「地域を会いにいこう」を通じたコミュニティが出来ていきました。「会いにいこう」というネーミングの通り、原村の風景や文化のファンができ、農家の方と仲良くなることで年に何度も都会から来てくれる若者が増えてきました。<a href="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/11291918_845661182170375_2079748297_n.jpg" rel="lightbox[8361]"><img class="aligncenter size-medium wp-image-8362" alt="地域に会いにいこう" src="http://jimoto-b.com/cms/wp-content/uploads/11291918_845661182170375_2079748297_n-600x450.jpg" width="600" height="450" /></a>地域に会いに行こうツアーも3年目を迎え、コンテンツもパワーアップしています。今後は、八ヶ岳トレッキングや、釣り、カヌー体験、また地元に移り住んできたクリエーターとの共創も進めていきます。</p>
<p>「地域に会いに行く」をきっかけに、もっと多くの方に八ヶ岳エリアの良さを知ってもらいたいと考えています。都心から2時間半で訪れることができる、週末田舎体験ツアーに、あなたも参加してみませんか？</p>
<p style="text-align: right;">（文・写真　「地域に会いにいこう」杉本諒介）</p>
<p>【HP】<a href="https://meetslocal.wordpress.com/2015/04/11/haramura/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">地域に会いにいこう<br />
</span></a>【FB】<a href="https://www.facebook.com/meetslocal" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">地域に会いにいこう</span></a><br />
【ブログ】<a href="http://8mot.com/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">HACHIMOT（八ヶ岳のシゴトニンブログ）</span></a></p>
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